中国地方の旅その1:津山への鉄路

月も変わったことなので、今日から新シリーズ。

去年の夏、相方さんと津山と瀬戸内を旅行したので、その写真と旅の記録を紹介していくシリーズ。

今回の旅は、18きっぷを使って東海道山陽線を西行するという、まとまった休みがなければなかなかできないことをやった。出発日の夕方に東京を発ち、数度の乗り換えの後、浜松に一泊。浜松を出て岡山まで東海道山陽線、そして岡山で津山線に乗り換え、まずは津山に向かった。ちなみに、浜松の宿だった「浜松ホテル」は、普通のビジネスホテルなんだがクロワッサンが驚くほど美味しかった。美味しいパンを朝食で食べたい人にはお勧め。

明石海峡大橋が見えた。寝台特急あかつきではここが車内放送ポイントだったなあ。

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歴史系番組と歴史学研究

ところで、1978年に始まった鈴木健二アナの司会として知られる「歴史への招待」は、ここでの座談会なんかを読むと、歴史をテレビ的な情報として伝えたいという狙いがあったようだ。歴史や歴史学が教養・学術として君臨していた時代の残滓が濃厚に残っていた1970年代後半には、確かにそうした狙いは的確なものであったのだろう。結構な人気番組になったし、僕も歴史に興味を持ち始めてからは、何度か見た記憶がある。

ちなみにこの同じ年、網野善彦『無縁・公界・楽』が刊行された。網野さんのこの著書は、これまでの社会経済構造史を重視する従来の中世史研究者からの批判は多かったが、その後、新しい歴史学として社会史の方法論が広く普及するひとつのきっかけとなり、また日本中世史にも社会的な関心が高まった。

単なる偶然の一致ではあるが、この年に大きな変化の波が訪れたというのはちょっと興味深い。そして、社会史が90年代以降研究的に新たな展開を見せなくなっていったのと、歴史番組が停滞気味になっていったのも、奇妙な符合のように思える。

ここ最近、「歴女」ブームなんて言われているんだが、歴史学の内部では、社会での歴史への関心に対応するような、そんな大きな研究動向の変化や動きがあるようにはちょっと思えない。むしろ、日本史を志望する学生や院生も減り、学問分野として縮小傾向にあるような空気すら感じられる。それなのに、社会の中の歴史的な知的関心をどう汲み取って、それを研究にどう反映していくのかということに、これまで研究者はあまりにも無関心すぎたような気がする。「歴女」そのものは単なるブームなのかもしれないけれど、この点はもう少しきちんと考えられるべきなのではないかと感じる。

タイムスクープハンター第2部

今日はNHKのタイムスクープハンター2nd stage「室町飢饉(ききん)救援隊」を見た。このシリーズ、以前たまたま夜に見たのだが、これまでの歴史系番組にありがちな英雄史観歴史小説的な話とは一線を画していて、一般的にはあまり知られていない、当時の社会の事象を取り上げているという番組。設定自体は、未来の「タイムスクープハンター社」による取材内容というフィクションの形を取っているのだが、その試みがそこそこ成功している。

今回の内容は、室町期の飢饉がテーマ。すでに日本中世史では知られていることだが、中世の飢饉は単なる凶作だけが原因なのではなく、物資を年貢などの形で領主の集住する京都に集める社会構造、またその物資が商品として流通していく経済構造に起因している。要するに富の分配をめぐる問題という、きわめて現代的な問題関心に連なっている研究テーマだといえる。

この番組では、京都でしばしば行われた、貧者への施しである「施行」に注目し、施行を担当する武士と、飢えに苦しむと市民、そして蕩尽に明け暮れる領主たちという構図が描かれる。『看聞日記』にも記される、応永の飢饉に際しての施行が「取材」の舞台となっている。施行を担当する武士があまりに理想主義的に描かれているのは、番組の演出上仕方のないところではあろうが、領主の邸宅ではさんざん飲んで食べては吐き、また食べるといった無茶な宴会が繰り広げられているのに、その塀を一歩外に出ると飢えた人々が彷徨っているという、室町時代の京都の異様な様相がなかなかうまく描かれていた。

テレビでの歴史系番組だと、どうしても坂本龍馬武田信玄だといった人物中心になりがちだし、そしてそうした番組は歴史小説などで流布している既知のイメージを知識で補強するといった流れに陥りやすい。その点この番組は、架空の取材という形式を取っているがゆえに、テーマ設定自体に意外性があり、そのため学術的な歴史研究の成果を生かしやすいというメリットがあるように感じた。

また1ヶ月以上空いてしまった…

それなりにパソコンに向かう時間は多いのだが、論文など執筆モード突入中なので、こちらの方はとんとご無沙汰になってしまった。

今年に入ってからというもの、あまり遠出はしてないが、一日で、しかも車を使わず公共交通機関だけで熊野三山を巡るという「熊野弾丸ツアー」を決行したので、その巡見記でもアップしようと思っている。あと、去年行った中国・瀬戸内の写真もおいおい出していくつもり。

「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」

朝イチのお仕事が終わって帰宅し、少し早いお昼を食べながらNHKを見てたら、NHK-BSドキュメンタリーコレクションという特集を新宿のバルト9でやっているという宣伝をやっていた。そこで取り上げられていたのが、この作品だった。

お正月に、これまたNHKでやってた、テレビを考える座談会みたいな番組のなかで、この作品がとてもよかったということを複数の人が話していたので、ぜひ見てみたいと思っていた。けれどもNHKオンデマンドにも無いようなので、もう見られないのかと半分あきらめかけていたら、なんと今日のお昼からやるという。これは見に行かねばなるまいと即決、さっそくネットでチケットを予約して新宿に向かった。最近映画館にはとんとご無沙汰で、バルト9も初めて行った。ギリギリに着いたんだけれど、無事普通に入場することができた。けっこう席は埋まってて、しかも他の映画を見に来ていた客層とは明らかに異なる風体の人たちばかり。まあ僕もその中の一人なんだが。

さて、見た感想。ショッキングな映像や内容だったという感想がネットではよく見られたんだけれど、確かに重いテーマだとはいえ、劇場で見たせいもあってか、そういう印象はさほど受けなかった。むしろ考えさせられたのは「文化」ってなんだろう、ということだった。

以下、ネタバレご注意。

ヤノマミの嬰児殺しは、確かに我々の暮らす現代の社会の価値基準からすると「ありえない」行為だ。けれども現代の日本でもトイレに赤ちゃんが産み捨てられたってニュースを聞くことはけっこうあるし、それに少し歴史を振り返れば、戦前まで子どもの「間引き」はそれなりに行われていたわけで、決して現代と隔絶した価値観をもつ社会だという風には感じられなかった。

むしろ僕がこの件で興味深く感じたのは、殺した嬰児を白アリに食わせたのち、その白アリの巣ごと火にかける、という習俗だった。ただ死体を白アリに食べさせて終わりというのではなく、食べた白アリごと焼いてしまう。アリが人間の男性の精霊の生まれ変わりだと信じられているヤノマミ族にとって、赤ん坊を食べたアリが焼かれるというのは、やっぱりそれなりの文化的な意味を持っていると思われるのだ。番組を見た人の感想では、アリに食べさせるところにショックを受けていたようだったが、この習俗に関しては、アリも含め焼かれて天に帰るというところまでを、一連の行為としてとらえ解釈する必要があるように思われた。

それからちょっと気になったのは、出産の前、生殖をめぐるところだ。現代の社会ではセックスは恥ずかしくて隠すべき行為とされていて、だからこそそこにエロスが発生して人々を生殖活動へと向かわせるわけだが、このヤノマミの社会において、そうした「恥ずかしさ」ないしエロスの感覚がどうなっていたのか、どうにもよくわからなかった。

この部族では、女性は腰に赤くて細い帯みたいなのを着けているだけで、ほとんど全裸に近い。だから裸で興奮するという形でのエロスは機能しようがないわけで、その代わりに、真夜中の大ダンス大会で男と女が一緒に踊ることで気分を高め合う場面が撮影されていた。その後、男女は森の湿地帯に行って毒ヘビ(だったかな?)に襲われる危険と隣り合わせに交わるのだそうだ。番組の描き方として、それは「おおらかな性」という感じだったんだけれども、ではこの男女がどうして集落から離れたところで交わるのか、また、集落から離れるというその行為そのものが、恥ずかしさのような感覚を意味しているのかどうか。

こういうエロスの感受性、あるいは恥ずかしさの感覚って、その人が属する社会のあり方に大きく規定されているのではないか。ヤノマミ族の場合どうだったのかをテレビ番組としてやるのはさすがに難しいのかもしれないが、そういう感受性、感覚によって生殖行為にもっていくこと自体が「文化」だと思うので、その点はもう少し知りたかった。

ただ最初にも書いたように、この作品を見て一番考えさせられたのは「文化」ってなんだろってことだった。

上映が終わり、9階にあるロビーからエレベータで地上に降り建物の外に出ると、目の前に伊勢丹のビルと交差点が見える。新宿のど真ん中、これ以上無いってくらいの都市の中心部に放り出される。ピンクのベビーカーを押して街を歩いている、ちょっとギャル系のお母さんもいる。この人と、産んだ子どもを「精霊に返す」決断をした14歳の少女とは、何が同じで何が違うのだろう。ヒトとしての身体なんてほとんど変わらないように思えるのに、その身体を取り巻いている環境や社会は、絶望的なほど違っているような気もする。彼女ら二人を同じだと判断することも、あるいは違うのだと論じることも、文化という言葉で説明ができてしまう。

でも、改めて「文化」って何なのという問いを立てた時、同じなのか違うのかという二者択一で判断しようとすること自体が思考停止なのかもしれない。圧倒的な差異を見せつけられるんだけれども、その差異が、彼ら彼女らにとってはそれなりに合理的に説明のできる体系になっていることは、こういうドキュメンタリーを通じてではあるけれども、僕らでも理解することができる。

生きていくためのいろんな理由で赤ん坊の間引きを行わざるをえない母親は、「精霊に返す」という「文化」の論理によって、少なくとも社会的な咎め立てや責めを受けることはない。我々の社会は個々の生命を大切にするという価値観を選択しているわけだから、ヤノマミ族の間引きの習俗はアウトなんだけれども、そうした習俗を説明づける論理である「文化」までもがアウトだということにはならない。そこら辺に、「文化」というものを理解していく一つの鍵があるのかもしれないということを、さっきまでのアマゾンの世界とはクラクラするくらいに違っている風景を眺めながらぼんやり考えてみた。

関連リンク

NHKの番組サイト
NHKスペシャル



バルト9NHK-BSドキュメンタリー特集「This is REAL」
包茎手術で堂々と温泉へ

違憲判決と最高裁判事の「宗教観」

帰宅して晩ご飯の用意をしながらテレビをつけていたら、神社をめぐる裁判で最高裁違憲判決を出したというニュースが聞こえてきた。ニュースでは片手間に音声を聞いていただけだったので、ご飯食べ終わってから改めていろいろ調べてみた。ニュースサイトの記事はこんな感じ。

【毎日新聞】政教分離訴訟:「市有地に無償で神社」は違憲 最高裁

【朝日新聞】神社への市有地無償提供に違憲判決 最高裁

詳細な記事になってる毎日の方を引いとくと、こんな感じ。

北海道砂川市が市有地を無償で空知太(そらちぶと)神社に使わせていることは、政教分離を定めた憲法に違反するかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允(ひろのぶ)長官)は20日、「憲法が禁じた宗教団体に公の財産を提供する行為」と述べ、市の土地提供を違憲と判断した。その上で「違憲性を解消する他の手段について審理が必要」と、1、2審判決を破棄し、審理を札幌高裁に差し戻した。

この判決では、政教分離をめぐる憲法判断として、1977年の津地鎮祭判決で示された「目的・効果基準」ではなく、新たな基準が示されたという点が重要なようで、そのことを毎日の記事はきちんと説明している。

政教分離訴訟を巡っては、津地鎮祭訴訟の最高裁判決(77年)が、憲法が禁じる国や地方自治体の宗教的活動について「目的が宗教的意義を持ち、効果が宗教に対する援助や圧迫などになる行為」と示し、この「目的・効果基準」に沿って司法判断がされてきた。これに対し大法廷は「宗教施設の性格、無償提供の経緯や態様、一般人の評価など諸般の事情を考慮して、社会通念に照らして総合判断すべきだ」との新たな基準を示した。

僕は、現代日本における政教分離の問題については専門的な法学の素養がないのだが、この「目的・効果基準」というのでは、政教分離に関して相当に、というか緩やかすぎる基準なのではないかという気がする。これに対して新たな基準では、一般的に見て明らかに宗教的であれば違憲と判断しうるという道を開いたようにも思える。ただ、毎日の引用だけだとあまりに漠然としていて、どうとでも取れてしまうようにも感じられる。このニュースについてはもう少し法学に携わる人々の見解などを聞いてみたい。

ところで、この判決についてはすでに判例として最高裁のサイトに上げられていたので読んでみた。

「平成19(行ツ)260 財産管理を怠る事実の違法確認請求事件 
平成22年01月20日 最高裁判所大法廷 判決 破棄差戻し 札幌高等裁判所」(PDF)

分量も多いし法学的な解釈をめぐる部分についてはあまりちゃんとは読んでないのだが、合憲だとして反対意見を述べている堀籠幸男最高裁判事の「宗教観」にはちょっと看過できないものがあるので、敢えてここで触れておきたい。

(1)次に,神道は,日本列島に住む人々が集団生活を営む中で生まれた,自然崇拝,祖先崇拝の念を中心として,自然発生的に育った伝統的な民俗信仰・自然信仰であって,日本の固有文化に起源を持つものであり,特定の者が創始した信仰ではなく,特定の教義や教典もない。このように,神道は人々の生活に密着した信仰ともいうべきものであって,その生活の一部になっているともいえる。このことは,日本人の多くが神前結婚式を挙行し,初詣でに神社に出かけて参拝することからも,明らかである。確かに,神道も,憲法にいう宗教としての性質を有することは否定することはできないが,本件神社は,後記のような性格を有し,地域住民の生活の一部となっているものであるから,これと,創始者が存在し,確固たる教義や教典を持つ排他的な宗教とを,政教分離原則の適用上,抽象的に宗教一般として同列に論ずるのは相当ではないと考える。

(2)本件神社は,宗教法人ではなく,付近の住民らで構成する氏子集団によって管理運営されているが,神社の役員や氏子に関する規約はなく,氏子集団の構成員を特定することもできない。本件神社は,もともと北海道開拓のためS地域へ渡った人々が,その心の安らぎのために建立した神社であり,開拓者の生活と密着しているものということができ,本件神社は開拓者やその子孫によって開拓当時の思
いを伝承するものとして,維持,運営されてきたものである。そして,本件神社の行事は,初詣で,春祭り及び秋祭りの年3回である,これらは,主として地域住民の安らぎや親睦を主たる目的として行っているものであり,神道の普及のために行っているものではないと推認することができる。多数意見は,初詣でまでも除外することなく本件神社における諸行事すべてが宗教的な意義の希薄な単なる世俗的行事にすぎないということはできないとしており,国民一般から見れば違和感があるというべきである。

(3) 本件建物は,専ら地域の集会場として利用され,神社の行事のために利用されるのは年3回にすぎず,祠は建物の一角にふだんは人目に付かない状況で納められており,本件神社物件は,宗教性がより希薄であり,むしろ,習俗的,世俗的施設の意味合いが強い施設というべきである。

正直なところ、憲法における政教分離判例を形成する立場にいる人物がこんな程度の「神道」認識しか持っていないのかということに、驚きを禁じ得ない。特に(1)はひどい。そもそも日本における政教分離は、戦前・戦中の国家神道体制による信教の自由の迫害に対する反省、歯止めとして規定されたものであって、だからこそ国家と神道との関わりについてこれまでにもさまざまな訴訟が起こされ判例が積み重ねられてきたわけだ。

なのに(1)は、そうした国家神道の歴史をすっぽり落とした上でむしろ特別扱いしろと主張するわけだから、たちが悪い。

この裁判官は、政教分離規定成立の経緯に関するごく常識的な知識すら持っていないのだろうか。おそらく、そうではあるまい。この裁判官は、こうした経緯があることを十分に知っていながら、神道非宗教説に与しているがために、こういう論理を持ってきて反対意見を述べたのではないかと思う。

神道非宗教説は、明治憲法体制下において国家神道を行政的に正当化するために用いられたロジックだ。キリスト教徒であっても神社への参拝は「儀礼」であるから宗教行為ではない、だから神社に参拝せよ、というような形で、全国民が宗教儀式を事実上強制させられていた。当時から、内実の伴わない形式的な「敬神」になるといったような批判が神道の側からも出されてはいたのだが、1930年代の軍国化のなかで神道非宗教説は国民を戦争に動員するイデオロギーに位置づけられて戦争遂行に多大な「貢献」を果たし、その結果日本全体が神懸かりのような雰囲気に包まれたまま敗戦を迎えた、というわけである。

日本を占領したGHQ神道指令を出して国家からの神道の排除を命じた。むろん、GHQ国家神道理解は今から思えば不十分だし誤りも少なからずあるが、神道指令とその後の日本国憲法における政教分離規定の故に、戦後日本社会において一般人が靖国への参拝といったような行為を公権力から強制されることはなくなったのである*1

しかし堀籠幸男最高裁判事は、戦後になってようやくある程度は保証されるようになった宗教的自由を、まるっきり否定するかのような論理に立脚しているとしか評価できない。見方を変えれば、最高裁での判例自体がこうした「神道」認識によって形成されていく可能性があるということをも意味する。さすがにこの意見は少数の反対意見となってるのだが、そのことがかえって逆に、この最高裁判事の思想的な偏りを炙り出しているようにも思える。

もう少し細かいことをいえば、現代の「神道」と近代以前、すなわち国家神道成立や廃仏毀釈以前の神祇信仰とをごっちゃに「神道」と一括りにするのもかなり乱暴な議論だ。だが、神道非宗教説だけはさすがに見過ごすことができないので、改めてここに批判した次第だ。。

*1:もちろん未だ多大な宗教的自由の侵害を受けている人も少なからず存在する

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