違憲判決と最高裁判事の「宗教観」

帰宅して晩ご飯の用意をしながらテレビをつけていたら、神社をめぐる裁判で最高裁違憲判決を出したというニュースが聞こえてきた。ニュースでは片手間に音声を聞いていただけだったので、ご飯食べ終わってから改めていろいろ調べてみた。ニュースサイトの記事はこんな感じ。

【毎日新聞】政教分離訴訟:「市有地に無償で神社」は違憲 最高裁

【朝日新聞】神社への市有地無償提供に違憲判決 最高裁

詳細な記事になってる毎日の方を引いとくと、こんな感じ。

北海道砂川市が市有地を無償で空知太(そらちぶと)神社に使わせていることは、政教分離を定めた憲法に違反するかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允(ひろのぶ)長官)は20日、「憲法が禁じた宗教団体に公の財産を提供する行為」と述べ、市の土地提供を違憲と判断した。その上で「違憲性を解消する他の手段について審理が必要」と、1、2審判決を破棄し、審理を札幌高裁に差し戻した。

この判決では、政教分離をめぐる憲法判断として、1977年の津地鎮祭判決で示された「目的・効果基準」ではなく、新たな基準が示されたという点が重要なようで、そのことを毎日の記事はきちんと説明している。

政教分離訴訟を巡っては、津地鎮祭訴訟の最高裁判決(77年)が、憲法が禁じる国や地方自治体の宗教的活動について「目的が宗教的意義を持ち、効果が宗教に対する援助や圧迫などになる行為」と示し、この「目的・効果基準」に沿って司法判断がされてきた。これに対し大法廷は「宗教施設の性格、無償提供の経緯や態様、一般人の評価など諸般の事情を考慮して、社会通念に照らして総合判断すべきだ」との新たな基準を示した。

僕は、現代日本における政教分離の問題については専門的な法学の素養がないのだが、この「目的・効果基準」というのでは、政教分離に関して相当に、というか緩やかすぎる基準なのではないかという気がする。これに対して新たな基準では、一般的に見て明らかに宗教的であれば違憲と判断しうるという道を開いたようにも思える。ただ、毎日の引用だけだとあまりに漠然としていて、どうとでも取れてしまうようにも感じられる。このニュースについてはもう少し法学に携わる人々の見解などを聞いてみたい。

ところで、この判決についてはすでに判例として最高裁のサイトに上げられていたので読んでみた。

「平成19(行ツ)260 財産管理を怠る事実の違法確認請求事件 
平成22年01月20日 最高裁判所大法廷 判決 破棄差戻し 札幌高等裁判所」(PDF)

分量も多いし法学的な解釈をめぐる部分についてはあまりちゃんとは読んでないのだが、合憲だとして反対意見を述べている堀籠幸男最高裁判事の「宗教観」にはちょっと看過できないものがあるので、敢えてここで触れておきたい。

(1)次に,神道は,日本列島に住む人々が集団生活を営む中で生まれた,自然崇拝,祖先崇拝の念を中心として,自然発生的に育った伝統的な民俗信仰・自然信仰であって,日本の固有文化に起源を持つものであり,特定の者が創始した信仰ではなく,特定の教義や教典もない。このように,神道は人々の生活に密着した信仰ともいうべきものであって,その生活の一部になっているともいえる。このことは,日本人の多くが神前結婚式を挙行し,初詣でに神社に出かけて参拝することからも,明らかである。確かに,神道も,憲法にいう宗教としての性質を有することは否定することはできないが,本件神社は,後記のような性格を有し,地域住民の生活の一部となっているものであるから,これと,創始者が存在し,確固たる教義や教典を持つ排他的な宗教とを,政教分離原則の適用上,抽象的に宗教一般として同列に論ずるのは相当ではないと考える。

(2)本件神社は,宗教法人ではなく,付近の住民らで構成する氏子集団によって管理運営されているが,神社の役員や氏子に関する規約はなく,氏子集団の構成員を特定することもできない。本件神社は,もともと北海道開拓のためS地域へ渡った人々が,その心の安らぎのために建立した神社であり,開拓者の生活と密着しているものということができ,本件神社は開拓者やその子孫によって開拓当時の思
いを伝承するものとして,維持,運営されてきたものである。そして,本件神社の行事は,初詣で,春祭り及び秋祭りの年3回である,これらは,主として地域住民の安らぎや親睦を主たる目的として行っているものであり,神道の普及のために行っているものではないと推認することができる。多数意見は,初詣でまでも除外することなく本件神社における諸行事すべてが宗教的な意義の希薄な単なる世俗的行事にすぎないということはできないとしており,国民一般から見れば違和感があるというべきである。

(3) 本件建物は,専ら地域の集会場として利用され,神社の行事のために利用されるのは年3回にすぎず,祠は建物の一角にふだんは人目に付かない状況で納められており,本件神社物件は,宗教性がより希薄であり,むしろ,習俗的,世俗的施設の意味合いが強い施設というべきである。

正直なところ、憲法における政教分離判例を形成する立場にいる人物がこんな程度の「神道」認識しか持っていないのかということに、驚きを禁じ得ない。特に(1)はひどい。そもそも日本における政教分離は、戦前・戦中の国家神道体制による信教の自由の迫害に対する反省、歯止めとして規定されたものであって、だからこそ国家と神道との関わりについてこれまでにもさまざまな訴訟が起こされ判例が積み重ねられてきたわけだ。

なのに(1)は、そうした国家神道の歴史をすっぽり落とした上でむしろ特別扱いしろと主張するわけだから、たちが悪い。

この裁判官は、政教分離規定成立の経緯に関するごく常識的な知識すら持っていないのだろうか。おそらく、そうではあるまい。この裁判官は、こうした経緯があることを十分に知っていながら、神道非宗教説に与しているがために、こういう論理を持ってきて反対意見を述べたのではないかと思う。

神道非宗教説は、明治憲法体制下において国家神道を行政的に正当化するために用いられたロジックだ。キリスト教徒であっても神社への参拝は「儀礼」であるから宗教行為ではない、だから神社に参拝せよ、というような形で、全国民が宗教儀式を事実上強制させられていた。当時から、内実の伴わない形式的な「敬神」になるといったような批判が神道の側からも出されてはいたのだが、1930年代の軍国化のなかで神道非宗教説は国民を戦争に動員するイデオロギーに位置づけられて戦争遂行に多大な「貢献」を果たし、その結果日本全体が神懸かりのような雰囲気に包まれたまま敗戦を迎えた、というわけである。

日本を占領したGHQ神道指令を出して国家からの神道の排除を命じた。むろん、GHQ国家神道理解は今から思えば不十分だし誤りも少なからずあるが、神道指令とその後の日本国憲法における政教分離規定の故に、戦後日本社会において一般人が靖国への参拝といったような行為を公権力から強制されることはなくなったのである*1

しかし堀籠幸男最高裁判事は、戦後になってようやくある程度は保証されるようになった宗教的自由を、まるっきり否定するかのような論理に立脚しているとしか評価できない。見方を変えれば、最高裁での判例自体がこうした「神道」認識によって形成されていく可能性があるということをも意味する。さすがにこの意見は少数の反対意見となってるのだが、そのことがかえって逆に、この最高裁判事の思想的な偏りを炙り出しているようにも思える。

もう少し細かいことをいえば、現代の「神道」と近代以前、すなわち国家神道成立や廃仏毀釈以前の神祇信仰とをごっちゃに「神道」と一括りにするのもかなり乱暴な議論だ。だが、神道非宗教説だけはさすがに見過ごすことができないので、改めてここに批判した次第だ。。

*1:もちろん未だ多大な宗教的自由の侵害を受けている人も少なからず存在する