追悼文書き

ここ数日、この間(11月20日)亡くなった後輩の追悼文を書いている。と言いたいところなのだが、実はあまり筆が進んでいない。

僕にとって、文章を書くためにはある程度のエネルギーの充填を必要とする。書く文章の濃淡によっても違うが、そのエネルギーが堰一杯になって溢れ出したときには、カタカタとキーボードを叩いていくことができる。

けれど今は、亡くなった彼女のことを考えようとすればするほど、逆に手が動かなくなってしまう。無意識のうちに、机のまわりを片づけたり、テレビを付けてしまったり、CDに心を奪われたりしている。なんだか、彼女のことを考えまい、考えまいとしている自分がいるような気がする。