赤米神事の危機。

31日から新しく南島原市になった長崎県の旧北有馬町で、肥前戦国大名有馬氏の居城跡である国指定史跡、日野江城跡の遺構が町の事業によって一部破壊されたことはすでにニュースで知られている話でhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060201-00000224-kyodo-soci、城跡の整備委員会の委員長を務めていた外山幹夫さんが抗議の辞任をしたり、町長が文化庁に告発されたりして、安易な文化財保護の姿勢が厳しく問われている。

で、このニュースを長崎新聞のサイトで追っかけてくうちに、前に調査をした対馬・豆酘集落の伝統行事が存続の危機にあることを知った。この辺こちらは写真が載ってて、右側のおじいさんには僕も聞き取りでお世話になった。

長崎新聞の記事を引用しとく。

「豆酘の赤米行事」存亡の危機 対馬

 対馬市厳原町豆酘(つつ)に千年以上前から伝承されてきた古代米をご神体とする「豆酘の赤米行事」(国選択無形民俗文化財)が存亡の危機に直面している。習俗を受け継ぐ「頭(とう)仲間」は二戸に減り、八日未明に執り行われるはずだった年中行事「頭受け」が見送られた。頭仲間の減少の背景には重い個人負担がある。

 赤米信仰は古くから伝わる厳格なしきたりを今も尊重し、田植えや稲刈りなど赤米にまつわるすべてが神事とされる。中でも毎年旧暦一月十日にある頭受けは最重要行事。一年間天井につるして祭った神俵を、昨年の当番家「晴れ頭」から、今年の当番家「受け頭」に引き継ぐ。

 市教委厳原事務所によると、一九九〇年に頭仲間は十戸あり、当番家は順繰りに交代できた。だが金銭的な負担が大きく、後継者不足もあり、昨年まで三戸あった頭仲間は今年ついに二戸となった。頭仲間の主藤家と本石家は今回、「頭受けは二年に一度にする」と苦渋の選択をした。

 昨年、受け頭として神俵を引き継いだ主藤公敏さん(55)は「赤米は絶対に守る。ただ行事の費用は年間で最低三十万円は必要。今後は大きな出費が二年に一度めぐってくる」と漏らす。

 神事を支える供僧「おてい坊」を務める本石直己さん(73)も頭を痛める。「稲作伝来の地で先祖代々、原種のまま守ってきた赤米を絶やしてはいけない。だが、神事のたびに人員をそろえるのは大変」

 市は宗教分離との兼ね合いから、「神事ではなく赤米栽培の費用」との名目で毎年十二万円の補助金を支給。同市総務部は「来年度予算では現状維持が精いっぱい。今後は文化財保護の組織体制も含め検討したい」としている。(『長崎新聞』2006年2月9日)

僕自身はこの神事を見たことはなくって、後輩が調査に行って、ビデオに収めている。そういった資料保存的な面からいえばすでに調査研究としては終了しているんだけれど、それでもういいのかというと、やっぱりそうは思えないよなあ。といっても、大学に身を置く、しかも非常勤の身分で、なにができるかといっても大したことはできないわけで。

行事の存続は、結局は現地の人々のやる気と、あとは資金にかかっているんだけれど、ただ、それでも僕らにできることって何か無いのかな。おそらく、民俗学の方はこういう問題に常に直面してると思うんだけれど、その辺はどういう態度で臨んでいるんだろうか。とりあえず、問題提起としてここに書いておきたい。