西洋史との合同ゼミ

昨日は西洋史との合同ゼミという最近始まった企画の3回目。ドイツでただ一人という日本中世史の研究者の方による、パーソンズルーマンのシステム論を理論的武器にして、甲斐の武田氏とドイツのルドヴィンガー家との領国形成の比較をやるという報告。

ドイツ中世の状況というのは何も知らないので勉強になった。が、報告者の研究がドイツ中世史研究の中でどのような位置を占め、あるいはシステム理論の応用という観点からどのような位置にあるのかという研究史的な側面がよくわからなかった。

日本史と西洋史との合同ゼミという性格もあってその辺りのことは話されなかったのだろうとは思うのだけれど、むしろどのような方法論をとることによってどのようなことがわかるのか、ということをもう少しわかりやすく説明してもらえるとよかったように思う。

面白かったのは、戦国大名とドイツの領主(というか貴族)との比較の中で、ドイツでは貨幣発行権を個々の領主が持っていて、銀貨を発行したりするのだそうだ。日本の中世では貨幣は原則として中国銭で、大名や、政治的にはより上級の将軍・天皇も独自に貨幣を発行することはなかった。日本では一応天皇は貨幣発行権を持っているが、古代の皇朝十二銭以来その権限を行使したことはなく、14世紀に後醍醐が貨幣発行を計画したくらいだ。

貨幣価値を保証するのは国家であるから、ドイツではたぶん国家公権の分有といった概念がはっきりしていて、その分有にしたがって個々の領主が貨幣発行権を持つのだろうか。もしそうだとすれば、日本では少なくとも江戸幕府までは、貨幣発行という点での国家公権の分有という概念は存在しなかったことになるのだろう。江戸幕府寛永通宝を発行したのはそういう意味では画期的な出来事だといえるだろう。

あと金や銀の話も出たが、そのことも含めて考えないといけないんだろうなあ。

 

あと全然関係ないけど、西洋史のゼミの学生は誰も懇親会に来なかった。そういう場でのやりとりという習慣がないんだろうか。研究会のあとの飲み会ってただ親睦を深めるだけじゃなくて、その時の報告がどういうスタンスでなされた研究かとか、レジュメや報告の場では言えない研究史の話とか、居なければわからないことが多くて勉強にもなるんだけどなあ。それとも単に日本史の院生が飲むのが好きってこと?
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すでに時を逸した話題だけれども月食、ちょうど近くにお弁当を買いに行ったとき、夜10時に外にいたので、月が隠れるところを見ることができた。今でこそ天体ショーとして楽しめるけれども、数百年前だったら大騒ぎだろうなあ。不吉だとかいって改元になってたかもなあ。