バスの運転手

たまたまテレビを見ていたら、鈴木紗理奈真中瞳なんかがはとバスの運転手やガイドをやる、という番組をやっていた。

実は僕、子どもの頃バスの運転手になりたかった。

たぶんまだ対馬に住んでいる頃、4歳くらいの頃だったと思うが、僕は比田勝という対馬北部の町にある保育園まで、送迎バスではなく、普通のバスで通っていた。首から定期券をぶら下げて乗り込み、乗り込むと一目散に友達のいる最後尾の席を取り、見送る母親に手を振っていた。

たぶんその頃から、バスの運転手になりたいと思うようになったのだろう。当時は、家でバスの絵ばかり描いていた。ちゃんと行き先案内板にも漢字で行先を書いていた。ただし、比田勝の「勝」の字が書けなかったのか、「比田行」と書いていたようだったが。

長崎市内に引っ越してからは幼稚園にバスで通うことはなくなったが、時々母親と行っていた市街での買い物の行き帰りには、やはりバスを使っていた。

長崎のバス運転手というのは、そんじょそこらの運転手とは比べものにならないほどのテクニックを要求される。山の上までびっしり建てられた家々と石垣との間に、曲がりくねって伸びている細い道路を、対向車をやり過ごしつつ登っていかなければいけないからだ。実際、最近見たテレビで長崎バスの運転手が、後輪に二本ずつついているタイヤの僅か10cm程の隙間に卵を通す、という芸当をこなしていた。その華麗かつダイナミックなハンドル捌きは、幼い僕の憧れだった。「7番系統 早坂行き」の案内の出たバスの絵もたくさん描いていた。

小学校に上がる頃に長崎市内を離れてしまい、バスに乗る機会が極端に減ってしまったのにつれて、僕のバス熱も徐々に冷めていったが、小学生の間はまだバスの運転手になりたいと思っていたような気がする。

今みたいな生き方をしているなんて、あの頃には想像もできなかったなあ。