国体

どうもダメな感じが自分の中で蔓延している。やる気無し、という感じじゃないんだけれど、やらなければ、という焦りだけが無気力の中で空回りしている感じ。

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「国体」ってやっぱり「国民体育大会」でしょ、というベタなネタはともかく、僕にとってはやっぱり「国体予選」なんて単語とセットでないと実感が湧かない。

で、彼の言動をふと考えてみたのだけれど、彼はある意味ファッションで言っているのではないだろうか。つまり、森喜朗氏がそのことを考えていると言うよりは、まわりの人間のそういう雰囲気に流されて、あるいはそういう雰囲気をを察知して、と考えたほうが整合性のある理解のような気がする。

「国家を愛する保守政治家たらんとすれば、天照大神の末裔たる天皇を中心とする国体を護持し奉り、教育勅語の精神に則って万民を訓育すべきである」
っていうような、たぶん誰かから聞きかじったような信念以上のことなんて、彼はおそらく考えてはいないだろう。で、それを愚直にも繰り返しているだけに違いない。すでにそれは信念なのだから、発言の撤回などしないだろう。

けれども彼はそういう信念を実現しようと深く心に秘めているのではなく、単に「保守政治家としての信念を持った人間」であることを彼の支持者にアピールするために、つまり彼の基盤とする世界の中でのファッションとして、そういう言葉を使ってみているだけなのだろう。

まあ、そのファッションが通用する範囲での世界だけ相手にしているうちは良かったんだろうけれど、通用しないところでどれだけやっていけるのか、という意味では完全に失格だろう。故小渕氏があの柔和な姿に隠れて国旗国歌法を始めとする政策を次々と実行に移していったのに比べ、彼は口だけだからなあ。