武漢の桜。

中国のネットで話題になってるようだけれど、ちょろっと検索しただけでも、ヒートアップしてるのは中国の“ウヨ”だけなんじゃないの、という感想をもった。桜なんて毎年毎年咲くものなんだから、これまでその桜にいちいち意味づけなんてしてなかったものを、今になって突然「侵略の象徴」だなんて言い出して「切れ」だなんていうのは、いかにもネットの上でしか考えない“ウヨ”の思考パターンのように思う。

旧日本軍が植えたものだなんてことは、当時の人々は当然知ってるわけで、あえてそれを自らのものとして引き受け、大切に育ててきたからこそ、今の桜があるのだろう。「侵略の象徴」だなんて言う人は、そういった現地の人の思い・時の積み重ねを、薄っぺらいナショナリズムで切って捨てようとしているわけだ。

日本でもそうなんだけれど、どのくらいの時の積み重ねを経て現在の国際関係やら何やらがあるってことに思いが至らず、ただただ原理原則・近視眼的な利害やメンツだけで国益とか言ってる若いヤツが多すぎる。そういうヤツのなかにもいいことを言うヤツはいて、そういう意見を尊重しなくちゃいけないとは思うんだけれど、ほとんどは、「もっと勉強して時の重みを実感しろや」ってな感じであしらって十分なものばかり。薄っぺらいナショナリズムを唱えてる暇があったら、もっと歴史のこと勉強しろよ、と言いたい。

勉強した上で保守的な考えや意見を持つのなら、まあそれはそれで一人の意見なんだから仕方ないけれど、知りもしないくせに“国家の誇り”を唱えるだなんてほんとばかばかしい。薄っぺらい愛国教育に歴史教育が従わせられた悪い影響なんだろうなあ。

日本では、なぜか日本史が高校の必修科目から外れてしまって、あたかも中国とは逆の動きを示しているようだけれど、知識がなくって薄っぺらなナショナリズムに飛びつくってのは、おそらく似たような構図なんだろうと思う。哲学とか文学とか歴史とかって、暗記とかテクニックとか、あるいは短いスパンでの政治的利害に従属させられるのではなくて、もっと思考の問題としてじっくり勉強すべきだと思うんだけれどな。