環境いろいろ

長崎では、東京大空襲の日にサイレンは鳴りません。まあ原爆については、戦後いろいろな運動に利用されてきたという側面もあったし、何より世界が核軍拡の状況だったから、特別扱いされてきたのは確かだと思う。ただ、広島の8:15にも鳴ってたということで、全国的なものだと思っていた。うん、やっぱりいろいろなんだなと感じる。

それは育った環境も同様で、高校卒業まではアカっぽい人が今思い返してみても誰も思いつかないという、それはそれですごい環境だったと思う。何てったって佐世保なんていう軍で持ってるような街にも数年住んで、海自の息子の感化でしっかり軍艦マニアになったくらい(笑)。軍艦のプラモデルはずいぶんたくさん作ったなあ。あと実家のある市はどうしようもなく税金を垂れ流している干拓工事に諸手をあげて賛成してるような、お上万歳の所だし。それでいて自分は政治的に「中立」のつもりだったんだから(笑)。あのままあそこに残ってたら、間違いなく「偏向教科書」とか言っていたに違いない。

僕の両親は、世代的にはちょうど全共闘の世代に当たるのだが、今まで一度もそういう話を聞いたことがない。まあ高校生の頃の僕は全共闘そのものを知らなかったんだけれど。で、東京に来て初めて全共闘というものの存在を知り、しかも自分の親の世代とぴったり一致していることに気付いて、かなりびっくりした覚えがある。

けれどもよく考えてみたら、両親は高卒だし、地方在住だし、すでに会社に就職していたのだから、あまり関係ないのは当然のことだった。この辺りは、東京に出てきてから聞いた友人の父親の話とか全共闘世代の人々の話と両親とが大きく違うところだ。

まあこのことは、いつか期を改めて書いてみたい。

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たまたまテレビを付けていたら、NHK「ひるどき日本列島」で和歌山やっている。なんか垂れ幕が真言宗ぽいなあ、とか思っていたら高野山奥の院だった。奥までは行ったことないんで。日野西真定さんが出てきて解説している。なんかびっくりした。