バブル後世代

昨日ゼミの後輩と飯を食っていて、バブルの時の話になった(と言っても今考えると自分だけ喋ってたような気がするが)。

僕が大学に入学したのは、1990年、今からちょうど10年前だ。18歳人口は今より数十万人も多く、私大ブームもあったので、大学志願者数はかなりの倍率だった。僕の受けた学部も、確か18倍くらいあったように思う(まあ、実際受けたのかどれ位なのかは知らないけど)。

まぐれでなんとか合格し、上京した1990年の春、入学式の時には象の被り物をしたオウムが派手な宣伝をしていた。「ボディコン・ギャル」が扇子を振り回していたのもこの頃だったろうと思う。けれど田舎から出てきた僕にとって、バブル時代の金を使った派手な遊びは全く肌に合わなかった。やったことないけど。僕は地元の市が運営している寮に入り、東京での生活を始めた。

この寮は激安で、月6500円、水道・電気代無しという、今考えても破格の安さだった。しかも寮費は地元の市役所に納める方式で、当然親元で納めるので、ほとんど生活基盤のランニング・コストが掛からないという、素晴らしい経済条件だった。ただし、部屋は相部屋、風呂は一日おき、夏は猛烈な暖房つき(冬の暖房だけはなぜかしっかりしていた)、最低限の生活である。おまけに、他の部屋にも事実上入り放題だから、そいつのエロ本の在処まで知っている。夜は夜で酒飲みに先輩や後輩が部屋にやってきたりして、明日の外国語の予習もできない感じだった。ほぼ、プライバシーなどない環境である。まあ、それはそれで楽しかったけれど。

ある時寮の部屋でごろごろしていると、寮の上の階でドンドン音がする。でもなぜかリズミカル。何だろうと思って音のする部屋をそっと覗いてみると、帝国系のT大文Ⅱに通う先輩が、一生懸命ディスコで踊るためのダンスを練習していた。彼は高校ではすごく地味なマジメ君だったらしいのだけれど、東京に来てからというもの、方言がばんばん飛び交っている寮内においても東京弁を話し、寮の部屋を黒一色の「トレンディ」な部屋に仕立て上げ、「紺ブレ」を来て昼はテニスサークル、夜はディスコへ出撃していた。いわゆる大学デビューだ。たぶんこれが彼なりの東京への適応だったのだろう。こんな涙ぐましい努力を見てしまった僕は、この話をすぐに寮内に広めてしまい、笑いのネタにしてしまったのだけれど、当時はこういう時代だった。

サークルでは、4年生の先輩たちが就職活動の話をしていた。まだ就職戦線に異状がなかった8月の終わりごろになると、諸先輩たちはどうやって内定を断るかで真剣に話し合っていた。実際、数十社から内定をもらった人もいたそうだ。でも後輩の僕らには、今日は銀座でステーキを喰った、この前は築地で寿司だったと、楽しそうに語ってくれた。就職活動っていいもんかも知れない、とか甘甘なことを考えていた。


なんだか昔話のようになってきたなあ。

僕らにとって、バブルとはいったい何だったんだろう。10年前を思い返してみても、大学生に入ったばかりの僕らにとって、バブルの恩恵など微塵も感じられなかった。金など持っていなかった大学時代は、数年後は僕たちもおいしい思いができるのか、といった程度だった。それよりも、バブルの直接的な影響である地価の高騰の方が、よほど僕たちには関係していた。

今でこそ西武新宿線沿線では、5万円台でも十分に風呂付きワンルームの部屋を探せるけれども、当時5万円台と言えば所沢辺りまで行かないと無かったように思う。だいたい7万円台が標準だった。山手線内だと8万台、中央線沿線でも7万5千円とか。今より、1万から2万は相場が高かった。しかも物件は次から次へとなくなっていった。

部屋代というのはある意味捨て金のようなもので、しかも支出の一番の割合を占めるものだから、土建会社の息子とかみたいにバブルの恩恵をそれほど被っていない、普通のサラリーマン家庭の学生には大きな痛手だった。そのせいもあって僕は、プライバシーを捨てて寮に居続けたのだけれど、部屋を借りてる人にとってはきつかっただろう。

就職活動もそうだ。大学2年頃にはすでに景気があやしくなり、就職活動用のパンフレットが来始める3年の冬ごろには、すっかりバブルは「崩壊」していた。18歳人口が一番多かった92年入学の学生の方が就職活動は大変だっただろうけれど、彼らはすでに就職活動が大変だった頃のことしか知らないので、まだ覚悟ができていただろう。けれども僕たちの代は、さっき書いた接待攻勢や、「就職活動するには誰も知らない国に旅行するといいよ~。面接の時に受けるから~。」という冗談みたいなアドバイスをするOBが実際まだウヨウヨいる中での「氷河期」の始まりだった。「こんな話聞いてないよ、おい」ということである。

まあ、僕は就職活動しなかったので偉そうなことなど言えないんですけど。

こうやって考えてみると、僕たちの世代というのは、18歳人口はむやみに多いので大学入試は大変だし、卒業するときには就職難だし、社会に出ると不景気だし、年金はもう怪しいしで、ちっともいいことがないような気がする。僕たちの直前がいわゆるバブル世代で、その後がコギャルの世代。僕らの世代は人口が多いのに、何にもネーミングされてない。バブルの悪いところばかりを享受している世代のように思えて仕方ないのは、被害妄想なんでしょうか。


今日は随分長くてすいません。きっとこれは小論文からの現実逃避なのです。