制服姿の高校生

明日5時半には起きなきゃいけないのに、こんな時間まで起きてて大丈夫なんだろうか?

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制服姿の高校生

 

といっても「ぢょしこおせい」ではないですよ。男子校の高校生の話。

 

僕が図書室にバイトに行ってる高校は、一応学ランの制服があるのだが基本的には服装は自由だ。ちょうど今の時期は新一年生が詰め襟のホックまで締めていて、それはそれでほほえましいのだが、もう少ししてくると各人の個性が少しずつ出てくる。

 

で、服装に注目してみていると、面白いことがわかった。

 

普通、制服は管理の象徴で、私服が自由の象徴のように思われている。で、学校としては制服をきちんと着ている生徒を望ましいと見なすわけだ。

 

けれども、この高校で見ている限り、いつも図書室で岩波文庫なんかを借りてく生徒は大抵私服で、放課後渋谷や池袋なんかに繰り出して行っているような生徒は制服の割合が多いような気がするのだ。もちろん例外があるので全ての生徒がこうだと言うことなどできないが、傾向としては言えるような気がする。

 

もちろん、私服と言ってもそういう生徒の私服は至って地味なもんである。下手するとオヤジ臭かったりもする。まあジーンズにシャツといた感じのいでたちだ。

 

けれど、遊んでる生徒がむしろ制服を着てるっていうのは興味深い。彼らに話を聞いたことがないので、どうして学ランを来ているのか彼らの考える理由はわからないが、少なくとも服を選ぶのがめんどくさいとか、そういう理由でないことだけは確かだ。彼らは、おそらく私服を着ている子たちの何倍ものエネルギーとお金とをファッションに費やしているだろう。制服の着こなしは明らかに洗練されているからだ。髪を紫に染めたってピアスをいくつも付けたって別に何にも言われないこの学校に、敢えて学ランを着てくるのだ。

 

付属校に入るということは、親にもある程度の経済的余裕があるということなのだろうから、彼らはやろうと思えばかなりセンスのいい服に身を纏うだけの力を持っているはずだ。それなのに学ランを敢えて着ていると言うことは、学ランが象徴する「高校生」という記号が彼らにとって必要であるからなのだろう。彼らは、街では学ランを着ることによって「高校生」という記号を身に纏っているのではないだろうか。

 

以前女子高生が流行った時、制服を着て街を歩く女の子のなかには、高校に行ってなかったり中退したり卒業したり、つまり高校生ではないのにセーラー服を着ている、いわゆる「なんちゃって女子高生」もいるのだ、という雑誌の記事を読んだことがある。

 

彼女たちは、制服を着ることで男達から声も掛けられるしちやほやされる、という理由でわざわざ制服を着ていたんだそうだ。その雑誌には、指定バッグやなんかが学校オリジナルなものではないときには”本物の”女子高生ではない場合が多い、という「ウォッチャー」の話まで載せていた。

 

つまり彼女たちは別に女子高生という身分に憧れているのではなくて、「女子高生」という記号がもたらすメリットを享受しようとしている、と言うわけだ。メリットを享受できる背景には、この「ウォッチャー」の指摘するように「女子高生」に対する需要が存在している。

 

もちろん彼らは記号ではなく、あくまで”本物の”女子高生を求めているのだが、「なんちゃって」の存在は、需要の実態が「女子高生」という記号の消費であることを如実に示している。

 

とすると、学ランさえもが、女子高生の「制服」と同じように記号化してるということなのだろうか。まあ、どんな需要が存在するのかわからないんだけど。もしかすると、学ランを着ている生徒たち自身が、「女子高生」という記号を求めているために、逆に「男子高校生」という記号を身に纏うことで同じ土俵に立とうとしているのかも知れない。