またまた部屋の整理

僕の日記を見ている方の中には、うさたろうはいつも部屋の片づけをしている、さぞかし綺麗好きに違いない、と勘違いされている方もいるかもしれないが、僕の部屋を見れば直ちにその考えが全く違うことに気づくだろう。

今から約2~3年前、ちょうど研修生をやっていた頃の僕は精神状態は最悪で鬱々としており、生活状態もどん底で飯を食うにも困るくらいだったのだが、とにかくゼミに出たり論文を書いたり、ということはしなければならず、論文や史料のコピーだけは溜まっていった。

当時の僕に気力があれば、それらを袋詰めか何かででもファイル化しておいて、後の参照に備えるようなことができたのだろう。けれどもとにかく日々の暮らしと勉強で手一杯だった僕は、とりあえず段ボール箱の中にそれらのコピーの山を突っ込んで置いたままにしていた。

そのコピーの山を今頃になってようやく整理している、というのが実際のところである。
まあ段ボールの中身をキャスター付きの衣装ケースに入れ替えたりはしているのだが、中身には全く手を付けていなかった。その封印を解いてみると、とにかく出てくる出てくる、要らない物が。どれくらいかというと、あまりに要らない物が多すぎて、要不要を選り分ける場所さえなくなってしまっているくらいだ。

以前はまだ書類の数がそれほど多くなかったから、細かく分類して保存していたが、数年前から僕の整理しようという気力が減退し、また処理すべき書類がどんどん増えていったために、結局そういう手間の掛かるシステムは破綻した。

歴史学の研究者としての立場で言えば、むしろ不要の書類を取って置いた方が後世に史料として役立つ、というのは確かだ。愚一先生も以前そのようなことを日記で述べていた。だが、実際問題としては部屋のスペースに限りはあるし、一々書類を分類するのもうんざりしてくるし、後ろ向きの仕事なのであまり生産性も感じられず、片づけようというモチベーションは低下するばかりだ。

だから最近は、以前より保存すべき書類の基準を高くして、何とか対応しようとしている。でも、いつまで保つのだろうか。