研究会での困った人

昨日は研究会だった。H大とG大学との合同ゼミというものである。もう始まってから24年が経つというから、随分長いこと続いている会だ。今年は、悪党で有名な(悪い人という意味ではありませんよ(笑)。14世紀にたくさん出てくる「悪党」という集団の意味です)G大のS先生が退官という節目の年の会である。この先生と、中世史の大御所であるN先生とが、20数年前にH大の正門のところで出会ったときに「何かやりましょう」ということで始まったらしい。

僕は両大学の所属ではないのだが、H大でやってる勉強会にお邪魔しているということで、出席することになった。

報告は2本。最初の報告は、まだ修論の執筆中ということもあって、これからという感じだった。次の報告は、その勉強会のあといつも一緒に酒を飲んでる人の、修論の一部の報告であった。実は彼の酒を飲んでいる姿はいつも見ているのに、報告を聞いたことはなかった(笑)。戦国の文書は僕にとってはまだまだなじみが薄いので、ゆっくり読んでいかないとよくわからないのだが、彼はまるで僕らを巻くようにどんどん進めていったので、自分の中で議論と史料読解がリンクしなくなってしまって困った。議論としては結構面白かった。なんだかN先生が彼の報告をお気に召されたようで、懇親会の時にはしきりに彼と話していた。

その懇親会では、ある方の隣になった。その方は年輩になってから勉強を始められた方なのだが、ちょっとユニークな方なのである(あまりこちらにとっては楽しくない意味で)。どうも自分の研究が取り上げられていないと、すぐにクレームを付けるようなのである。

その方は、歴史上の様々な政権の権力のあり方を、権威や権限の継承・委譲、正統性だけで考えようとする。例えば征夷大将軍の権限が云々・・・という感じだ。けれどももはやそれだけで政権のありかたが説明できるとは誰も思っていなくて、権力の行使が人々に受け入れられる正当性の方が論点となっている。

だからそのような問題関心にのっとった先行研究の整理に、その方の研究が入ってこないのはある意味当然のことなのだが、その方はそれが不満らしく、報告の質疑の場でしきりに御高説をお説きになる。

その時にも、僕が南北朝期の征西将軍について調べたことがあると言うと、その権限は何かとか、なんだかそんなことばかり質問された。征西将軍府が南北朝の一時期北部九州を制圧したのは事実上菊池武光の武力によるものだったとか、将軍懐良親王の発給する令旨が武家様に変化する、といったようなことを言って、権限の委譲だけでは説明できないということを言ったつもりなのだが。

まあでもより問題なのは、その方の説自体がどうのというよりも、自分の説が研究史の中で客観化できていないことであろう。自分の研究の位置づけを踏まえて論点を見出すのなら、そういう質問も意味をもってくると思うが、むやみに自分の研究が取り上げられていないことだけを言ってもしょうがない。たまたま僕が出た研究会でのその方の発言はまさにそうだった。報告者はあえて、というか必然的にその方の研究を取り上げなくって、内容的にも取り上げる必要性は感じられなかったのに、その方は御高説を蕩々とお話しになった。

そういうことに気付かないのは、ある意味では不幸なのかも知れないなあ。

 

追記(2019/02/18)

わかる人にはわかると思うが、S先生もこの困った人もすでに鬼籍に入られた。人の一生というのは、短い。