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姉川古戦場の写真は重複に気づいたので削除。で、かわりにアップしたのが石田三成出生地だという地に鎮座する八幡神社。五輪塔などの石塔群が残っていて、これが石田氏関連の遺物だと考えられているようだ。
今年の3月に撮った写真。あの時は意外と乗ってたんだけどなあ。
写真は彦根城天守。9月の巡見の際に撮影。このアングルからの写真はあんまり見たことないので、ちょっと珍しいなと思ってアップしてみた。
今週は近江に巡見旅行に行く。安土城や大津の辺りには行ったことがあったんだけれど、近江の中世史跡を網羅的に見学したことはなかったので、またとない、いい機会だった。1日目は彦根からスタートし湖北をめぐる。まずは彦根城。今年は築城四百年祭で盛り…
写真は荒川河川敷。向こうに見えるのは川口のマンション群。実はフォトライフにアップしたやつとほとんど同じ構図なんだけど、いちおう別の写真。
6月に行った大阪・堺シリーズ。千利休屋敷跡。ここは空き地の隅になんかモニュメント的なものがあるだけだったが、それでも他の「史跡」に比べると「跡」としてはわかりやすいところだったな。
実はこれは今回のじゃなくて、一昨年の写真。
この建物はもともと銀行として1904年に建てられたもの。異彩の建築家下田菊太郎による唯一残存する建築で、国の重要文化財に指定されている。この建物、一時は壊してしまうという計画が市で持ち上がったが、保存運動の結果保存・復元されることになった。長…
写真は再び、佐賀藩家老諫早家旧邸庭園。通称「御書院」の心字池。今考えると、こんな庭園のある高校って贅沢だったなあ。
写真は僕の母校にある旧領主屋敷の庭園。諫早家は家老待遇で支藩ではなかったので、厳密に言えば「藩邸」ではない。しかし、僕が高校の頃まではもともとの「御書院」の礎石が残っていたのに、それは跡形もなく撤去されてたな。高校生の頃からこの礎石どうな…
写真は嵐山の渡月橋。2日目の巡見はここからだった。
青蓮院と京都駅、それに急行銀河。
写真は、菅谷館跡の三の曲輪と西の曲輪とを隔てる空堀。ずいぶん細かく段を区切ってあった。この手前には復元された木橋がある。 *今日は短めのをいくつか。こういう風な更新もいいかもな。
ドラマにちなんで、写真も六本木ヒルズ。ドラマでファンドのオフィスがあるところも六本木ヒルズかな。あるいは、品川の再開発の辺りかな。
一昨日は、渋る相方さんを無理矢理引っ張り出して、東村山の辺りにお散歩。まず、正福寺というお寺に。ここには、東京都内で唯一という国宝の建造物である地蔵堂がある。応永14年(1407)、室町時代初期の建立である。どうも同時代史料に乏しいらしく、はっ…
写真は、菅谷館の本丸(左手)と空堀。空堀は案外深さがある。本丸に入る土橋の付近から撮影。
というわけで、とりあえず、写真の第一弾はまず場内の土塁上に建立された畠山重忠像から。
写真は、横川で保存されてるEF58。
こないだ見たら、もう解体作業が始まっていた。この光景が、再び甦ることはあるのだろうか。
こないだの京都学会旅行の際の写真。京大からほんとすぐのところにあるんだなあ。1601年(慶長6)の建築だそうで、重要文化財。しかし、これが神社かあと思うような、型破りな建築だよなあ。
引き続き京都シリーズ。菅大臣社の拝殿。説明板には、明治の頃、下鴨神社の建物を移築したものだとある。
京都に行った時に見学したシリーズ。宿泊先のホテルから目と鼻の先にある菅大臣社。ここは菅原道真の邸宅だった紅梅殿の故地で、そこにあって道真を祀る小さな祠が菅大臣社。ここは鎌倉期には北野宮寺の進止下にあって紅梅殿社と称していたらしい。鎌倉後期…
写真は京大・吉田キャンパスの時計台。
明治の頃勝海舟が住んでた屋敷の長屋門だそうで。戦後、昭和30年代に取り壊されそうになったのを三宝寺が譲り受けたらしい。いたってごく普通の門として機能してるっぽいが。
今日の写真も旧国立駅舎。大学通りから見ると、かろうじて駅舎としての存在感を保っている。これももうあとわずかしか見られない光景なんだなあ。
昨日の続き。境内にこぢんまりした、いかにも「作ってます」って感じの田んぼで赤米は栽培されていた。
今日は午後から本格的に起動。こないだ行った氷川神社にもう一度行ってみることに。対馬・豆酘の多久頭魂神社から分けてもらったという赤米は、台風並みの風雨で少し倒れていたが、まだ刈り取られていなかった。もうそろそろ稲刈りだろうな。
写真は対馬・豆酘の赤米の田んぼ。現地では寺田とよんでる。
写真は横川に保存されているEF65の500番台。
写真は筑後・瀬高下荘(現福岡県大和町)の荘鎮守である鷹尾神社。