報告の内容とはあまり関係のない感想

台風、来るのかなあ。結構大きそうだけれど、金曜はゼミだし、土曜日研究会なんだよなあ。雨台風か、風台風か。それにしてもまだ梅雨の明けていないこんな時期に来るなんて、珍しいなあ。何てったってまだ「3号」だしなあ。

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今日の研究会は日文と東哲の人たちが中心になっている、寺社縁起を読む研究会。いつもは輪読なのだけれど、今日は個人報告。

僕の個人的な興味としては、東大寺笠置寺という本末関係にある寺院の組織やその解体過程。笠置寺なんかは元弘の頃に焼失したという特殊事情があると思うけれど、平安期から続いてきた寺社の本末関係は、特に中央の権門と地方の寺社という場合、かなりの部分は南北朝内乱を境に消滅してしまうような気がする。

例えば石清水の事実上の末社であった九州五所別宮(ホントは宇佐弥勒寺の別宮だけれど)のうち新田、藤崎、千栗はほぼ南北朝期に石清水との関係が途絶えてしまう。宇佐弥勒寺も、ほぼ関係が切れる。正八幡は室町期に職の補任をしている形跡があるが、少なくとも史料からはあまり積極的な関係を見出せない。例外は筥崎だけ。

で、こういう末寺末社がどういう支配を受けているかというと、細かい点ではいろいろあるけど、大雑把に例えるなら、ちょうど現代における会社の本社と現地法人のような関係。

地元で基盤を築いてきた現地法人末社)は本社の傘下となり、ネームバリューや中央との繋がりその他のメリットを享受する。本社側では現地法人に社長以下の役員を派遣し、業務を監督する。もちろん現地法人の収益を本社に上げるのは欠かせない。時代が下ると、現地法人の社長や役員クラスは本社にとどまったままで、その代わりに部長や課長クラスを派遣する。そのうち、儲かる事業(荘園)は本社の直轄にしてしまったり、本社内の派閥抗争によって現地法人の事業が影響を受ける、といったようなこともみえてくる。


なんか今日の報告の趣旨とはだいぶずれてきたなあ。


そういう本社-現地法人のような関係がかなり精算されてしまうのが、南北朝時代のように思うのだけれど、東大寺笠置寺の関係も、僕の考えるそういう図式に当てはまっているような気がする。

地方の寺社、例えば宇佐宮なんかは守護大内氏の庇護のもとに再興を果たしたり、比較的小さな荘園の鎮守では村の人々が一致協力して盛り立てていくのだけれど、笠置寺なんかは京や南都に近いがために却ってそういう協力が得られないまま、南朝に与した寺として衰えていく、といった筋書きが僕には描けるんだけれど、どうかなあ。