お題

なんとなく更新してみる。

ビタミンB効果なのか、ずいぶん気分が良くなってきた。適度にやる気も出てきたし。でもやる気を日記書きに使ってしまって、たまってる仕事は全然片づいてない。あー仕事やんなきゃなあ。

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今回の小論のお題は「あなた自身の日常における消費のあり方について、「所有」と「機能の享受」という観点」から書け、というのと、「死の医学化」について書くのとの二つ。

消費論の方は自分の経験をもとに書けばいいから、きちんと本文を読めてればそんなに予備知識は必要ないだろうけれど、医学問題の方はちょっと難しいだろうなあ。僕自身、どういうことが議論になっているのかをちょっとは勉強しておかないと、とんちんかんなコメントを書くことになってしまう。

小論文の採点やってる人は、哲学や社会学なんかをやってる人が多くて、歴史の、それも近代史じゃなくて中世史みたいな前近代史をやっている人間なんて、僕以外に知らない。と言っても、採点者自体そんなに知らないんだけれども。まあ僕が知らないだけで、たぶん文学の分野なんかではいるんだろうなあ。でも、採点会議なんかの場で、その学問分野ではこのテーマに関してどういうことが議論になっているのかを聞いたりするのは面白いから、直接自分の研究の役には立たなくても刺激になることは多い。

ただ、学問的な適性から言えば、テクストそのものを扱う学問分野よりも、やっぱり概念を扱う分野の人の方が向いているだろうなあ。


それにしても、社会科学系の小論文っていうのはあるし、文学的なセンスを問う系統の小論文もあるのに、どうして歴史系の小論文ってあんまりないんだろう。歴史科目の論述問題っていうのはあるけれど、それは知識を問う問題だから自分で議論を立てる必要なんてない。歴史そのものの試験は、一般的なイメージの通りほぼ史実の暗記だし。まあそれも必要なんだけれども、なんかもう少し議論の基礎になる訓練というものがあってもよさそうだよなあ。

自分で史実を発掘して、なんてのはそりゃ無理だし、でっち上げの史実を出して終わりだろう。けれども、従軍慰安婦の問題とか国旗とか、あるいはベトナム戦争とかバルカン半島のこととか、中世だったら、うーん、蒙古襲来のこととか(中世はちょっと難しいかも)。あらかじめ資料を与えておいて議論を組み立てるぐらいのことならできると思うんだけれど。史実、つまりここでは出された資料をきちんと読み込んで、史実とは区別された認識の話を議論として組み立てるのは、ありだと思うんだけれどなあ。イデオロギー的にいろいろあっても、少なくとも資料を基礎に議論するという姿勢を身につけるだけでも、有意義のように思うけれども、問題作成やら採点やら、いろいろと難しいのかなあ。