通夜。あるいは愛する人の死

昨日書いたように、サークルの先輩の通夜に行ってきた。

思っていたほど参列者はいなかったが、サークル関係の人間だけに関しては、結構な人が集まっていた。参列した人々の一部と、なぜか行徳で飲んで、その後荻窪に帰る友人と馬場で飲んで帰ってきた。

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正直言って、まだあの先輩が亡くなったという実感が湧かない。「よう!」とか言って電話が掛かってきそうな気がするくらいだ。遺影が、僕が知っていたあの先輩の顔とはあまりに違う、なんだか魂の入ってない感じのする写真だったのも、実感が湧いてこない一つの理由なのかもしれない。

けれども、参列してた人の中で、亡くなった先輩の彼女(この人もサークルの先輩なのだが)だけは、あまりに辛すぎてその人のことを見ていられなかった。

亡くなった先輩は有名企業に就職したのだが、いろんなことがあって必ずしも順風満帆とは言えなかったらしい。そんな中で、亡くなった先輩とも別れたらしい、ということを風の便りに耳にした。

だが、その人の今日の様子を見る限り、悲しみがあまりにも痛々しいほど伝わってきて、後輩である僕は声すら掛けられなかった。彼女の笑顔が、笑顔だからこその悲痛さを感じさせた。ついた離れた、といううわべの関係ではないレベルで、亡くなった先輩とその人との間には深い繋がりがあったことを、今更ながら感じさせられた。

そして、それほどまでに悲しみをたたえたその人の姿を見て、僕はどうしようもないほど先輩の死という現実を突きつけられた気がした。