列車食堂

学校の図書館に寄ったあと行きつけの定食屋で夕飯を食べた。寒かったせいか人気メニューの豚汁は売り切れだったが、店のおばさんが具のない汁を少しサービスしてくれた。

その後、電車の乗る前に駅前の本屋に行った。

そこの本屋では、一番最初に雑誌コーナーに行ってめぼしい雑誌をチェックすることに決めている。今日も同じコースを辿っていた。そこでいつもはチェックしないホビーのコーナーをたまたま覗いてみた。

僕は、プロフィールにも書いているが、某私鉄の駅員バイトを7年間やっていた。そういう僕だから、鉄道は好きである。鉄道研究会にも入っていたくらいの、いわゆる「鉄ちゃん」だ。ただ、あまり車両の難しい仕組みのことを聞かれてもよくわからないし、全国の駅名を諳んじることができるわけでもない。もっぱら鉄道で旅行するのが好きなだけだったのだ。

その雑誌ラックの中で目に留まったのが、「食―旨い列車の旅」という特集を組んだある季刊雑誌だった。この雑誌は『鉄道○ァン』や『鉄道ピク○リアル』といった硬派、すなわち鉄道車両や鉄道運転の分析や観察を取り上げる雑誌とは違い、旅の手段、あるいは目的としての鉄道を取り上げている雑誌である。
(鉄道雑誌にこんなバリエーションがあることなど、普通の人は知ることもないだろう)。

その中でも気になったのは、「新幹線の食堂車」という記事であった。

僕は食堂車が好きだ。初めて食堂車で食べたのはいつだろう、たぶん高校3年の時、受験の帰りの寝台車でだったと思う。ただ、すでに斜陽化していた寝台列車の列車食堂にはあまりいい思い出はない。僕がよく覚えているのは、東京での大学の合格手続きの帰りの新幹線で食べた「カツレツ」だった。

今でこそ新幹線は「のぞみ」なんかが幅を利かせているが、当時は2階建て新幹線がまだ目新しい頃だった。その2階、眺望のいいその場所に列車食堂はある。当時の列車食堂はいくつかの業者が各列車を担当していた。その中でも僕が是非行ってみたかったのが、帝国ホテルの列車食堂であった。

手続きの帰り、僕はわざわざ時刻表で帝国ホテルの列車食堂の「ひかり」を選んで指定席を予約した。もちろん列車食堂に行くためにだ。

あこがれの列車食堂は、だが、高校生の子供が一人で食べるにはやや敷居が高いようなきがした。
「高校生のぼくちゃんはカレーでも食べてなさい。カレーでも、帝国ホテルのは高級なのよ。」
そんな声が聞こえてきそうだった。

だが僕は思いきって、
「シェフのお薦め」
というメニューを注文した。確か3000円くらいしたはずだ。今の僕なら無理な金額ではない(>やや誇張あり)が、高校生がランチに3000円とはかなりの贅沢だ。その「シェフのお薦め定食」が、カツレツだったわけである。

田舎の高校生だった僕はてっきり、「カツレツ」とは「とんかつ」なのだと思っていた。料理が出されるまでそのことを全く疑っていなかった。だが帝国ホテルの「カツレツ」が「とんかつ」であるはずなどなかった。パン粉をまぶして揚げた子牛の肉だった。

僕はウェイターが間違ったのではないかとやや疑いながらも、やはり自分の方が分が悪いことを察し、やや場違いな雰囲気にとまどいながらも「カツレツ」を口にした、そんな記憶が、「新幹線の食堂車」の記事を読んで甦った。


ふと目を落とすと、その記事の署名には見覚えがあった。例の「鉄道研究会」の後輩だった、そして当時から、鉄道好きには珍しく抒情的な文を書く、女の子の名だった。鉄道のサークルなのだから女の子なんて入りっこないような気もするのだが、なぜか毎年1人は必ず入ってくる子がいた。その一人が彼女だった。珍しく鉄道に関わる仕事に就いて、確か去年かおととし、結婚通知の絵葉書をもらったはずだ。今年は彼女に年賀状、出してみようか。

 

追記(20190102)

この定食屋さんは「みず乃」というお店でしたが、もう2006年8月で閉店。そのあと居抜きで移ってきた「エルム」も閉店、今では「ダルシムカレー」という店になっています。