因幡国府とその周辺(その2)
因幡国府は大伴家持が万葉集最後の歌を詠んだ地らしく、それにまつわる歌碑があった。
この歌碑群のうち、真ん中の大きな古い歌碑が家持の歌碑らしい。「天平宝字三年春正月一日、因幡国の庁にして、饗を国郡の司等に賜へる宴の歌」として、「新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)」だそう。僕は万葉集とかのことはさっぱりだし、あまり歌碑に関心がないので、肝心の家持の歌碑を撮影しておらず、佐佐木信綱の歌碑だけしか撮影してなかった。
この近くにあったのが、「庁の大五輪塔」という五輪塔。一度倒されて再び立てられたものらしいが、石そのものはそれなりに古そうだ。
『時範記』には、国守として赴任した平時範が国内の神社を巡拝する様子が記されていることでよく知られる。小高い山の上にあり、長い石段を登っていく。状況写真を撮っていると、わざわざ巫女さんが出てきて、記念写真を撮ってくれた。親切な人だ。
国庁跡は一応は整備されてるんだけれど、柱穴跡が木で整備されたため、それなりの年月を経た今となっては木材がかなり朽ち果て、史跡公園としてはやや荒廃していた。でも、ただの公園としては、田んぼの広がる真ん中に、山を望める憩いの場。こういう趣であって、なかなか風情がある。
これは南門の跡。こちらの方は柱穴をコンクリートで表現してあって、それなりの耐久性を誇っているようだ。
南門跡から正殿跡を望む。その奥には宇部神社の社叢が。
これは正殿跡。柱穴の木材がだいぶやばい状態になっている。