松江城登城その2:二の丸をめぐり往時を偲ぶ。
山陰旅行シリーズ。
二の丸は、江戸時代には御書院という御殿があったところだ。江戸時代初期には御殿として使われていたようだが、さすがに丘陵中腹の立地で規模が小さいためか、三代藩主以降は藩主居所としての機能は別のところに移ったようだ。その後はおそらく公式な行事の時くらいしか使われていなかったのだろう。
かつて訪れた時には未調査だったと思うのだが、今では発掘調査の結果を踏まえて御書院跡としての整備が行われている。
さて、松江城の景観として以前来た時と大きく異なっていたのは、二の丸を囲む櫓や塀が復元されている点だ。まずはそのうちの一つ、太鼓櫓を見学。
石落としの辺りには太鼓が置いてある。これはレプリカで、太鼓自体は天守に保存されているらしい。太鼓が天守に展示されてたかどうかなんて全然覚えてないや(笑)
太鼓櫓から大手門跡を見下ろすとこんな感じになる。この立地からしても、この櫓が大手門を意識して設けられていることがわかる。
次は中櫓。幕末には御具足櫓とも呼ばれていたらしい。この櫓は中には入れなかった。
2階はこんな感じ。そんなに窓が大きいわけでもないのにずいぶん明るい感じがするのは、もしかすると天気がいいせいかなあ。
ちなみに復元された櫓群の概要については、松江市のサイトも参考になる。
http://www.city.matsue.shimane.jp/jumin/bunka/bunka/bunkazai/h_gaiyo.htm
二の丸内には、1903年(明治36)に建てられた洋館の興雲閣が松江郷土館として保存されている。もとは明治天皇の行幸のために建てられたのだがその時には使用されず、代わりに皇太子時代の大正天皇が宿泊に使ったという。鳥取城内にもそんな建物があったような気がするが、普通の旅館じゃだめなのかなあ。松江なら温泉もあるし、VIPを接遇するのにふさわしい、いい旅館だってたくさんありそうなものなのだが。
これは松江神社。明治以降に創建されたただの神社だと思っていたのだが、本殿と手水舎は寛永年間、拝殿は寛文年間と、どちらも17世紀の建築で、もともと東照宮として建てられた建物を明治になってからこの地に移築したものらしい。とすると、松江城内では天守に次ぐ古い建物ってことになるのかな。ただ拝殿自体はそれなりに後世の修理が入っているような気がしたが。
今年は松江開府400年だそうだ。石垣の脇にこんな看板が設えてあった。
これで二の丸は終わり。いよいよ天守のある本丸へと向かう。