亡国の音。

小泉という人物は、社会における所得格差が拡大しつつあり、しかもみんながそのことに対して危機感を感じ始めている、ということに反応するような感性がまったく欠落しているようだ。

この期に及んで「格差社会が悪くない」だなんて、どうして人心に常に気を配るべき首相がそんなセリフを口にすることができるのだろうかと不思議に思う。現在問題になっているのは、超歴史的に「格差」が存在してきたといったような話ではなく、市場原理主義のもとで所得格差が拡大し固定化しつつあるために、社会全体の先行きに不安を抱き始めているということなのに。

もう一つ。たまたま見つけたこのニュース。日本経済新聞
必ずしもこれがすぐさま奨学金金利の引き上げに向かうわけではないようだけれども、ただでさえ日本における奨学金の貧困さは問題であるというのに、これ以上教育制度における機会の平等を損なうようなことがあっていいのか。

僕自身は小泉改革みたいな格差容認政策には絶対反対の立場だけれど、少なくとも小泉改革の目指すような市場での自由競争による活気ある社会の前提として、「機会の平等」は絶対譲れないはずだし、僕もその理念は大切にすべきものだと思う。もし「機会の平等」という理念が無ければ、"自由"競争社会なんていうのは、単に"持てるものがさらに持つ"というだけの社会、ほとんどの者が貧困化しごく一部の者だけが富めるという、まるで身分制社会のような閉塞した社会になってしまう。

奨学金というのは、国家が国民に対して機会の平等を提供する重要な制度であり、財務省ごときが目先の資金調達に目が眩んで安易に改変していいような制度ではないはずだ。それなのにこのていたらくということは、要するに、政府は競争社会における"自由"の意味や"機会の平等"を大して重視しておらず、単に大企業や高額所得者の方にばかり目が向いた政策をとり続けている、その矛盾がたまたまこういう形で現れた、ということなんだと思う。
こんなところで国家百年の計を誤るようなことがあっていいのか。

こんなニュースを一日のうちに見てしまうと、政権担当者に長期的視野に立てる人間はいないのか、もう日本はだめなのかな、という気すらしてきてしまう。