集まり散じて。

後輩からの年賀状に、3月をもって大学院を退学し、別の道に進む旨の報告があった。正確に言えば、研究をやめるわけではないけれど、少なくとも数年は、これまでとは全く別の環境で暮らすことになる、ということ。

その後輩が学部1年生だった頃から僕は知ってて、と言ってもその頃はそれほど親しいわけじゃなかったんだけれど、まさかその頃から10年もの付き合いになるとは、当時の僕は思ってもみなかった。とくにこの数年はずいぶん親しく付き合ってきて、いろいろとお願いごとをしたり相談に乗ってもらったり、ときにはケンカもしたけれど、僕の友人としても一番頼りにし、信頼していたなかの一人だった。

彼がいずれそういう進路をとるということは、もうずいぶん前に聞いていたことだったし、わかってもいた。けれども実際にそちらの方向に動き始めるのをみるにつけ、時の流れを感じずにはいられなくなった。

彼が大学に入り、院に進学し、そして大学を離れるまでの間、僕はずっと此処にいるんだなあと思うと、彼の成長を嬉しく思うと同時に、自分の成長のなさに忸怩たるものを感じる。僕はこれまで何をやってきたんだろう、と。そして、次第に速くなっていく時の流れに身を置いていると、少しずつ、“未来”ではなく“残された時”を感じるようになってきている自分に気づく。

けれども、僕らが同じ学問を同じところで学んでいたという記憶は、流れていった時間の分、これまでずっと積み重なってきて、これからもずっと残り続ける。それぞれ別のところにいても、その記憶を光として仰ぎ続けていれば、きっとまたどこかで出会うことができるだろう。

まだこの台詞を記すには少し早いけれど……願わくば彼の新たなスタートに幸多からんことを。そして僕も、がんばろう。