「殺されてもしょうがない」ことと殺されること

香田さんの殺害場面が動画で出回っていることは知ってるけれど、わざわざ見ようだなんてことは思わない。ただ、見た、というか見てしまった人たちが感想として書いていることを読むと、拉致されてしまった時に多く見られた「危険なところに行ったんだから殺されてもしょうがない」といった感想を持つ人が、ほとんどいないことに気づいた。

「殺されてもしょうがない」ということと現実に殺されてしまうことでは、当たり前だけれどもまったく違うことで、無茶なことをやったからといってやっぱり殺されていいはずなどない。「自己責任」なんてことが言われていたけれども、なら死んでいいのか、ということには、やっぱりならない。動画を見た人がはじめからそう思ってたのか、あるいは最初は「しょうがない」と思っていたのか、それはわからないけれど、少なくとも現実の死というものに否応なく向き合わざるをえなくなったことだけは、確かだ。

地震の時の救出報道も僕は見てたけれども、人の命が、それを語られる文脈によって重くなったり軽くなったりしてしまう。現実の命はどれも同じなのに。もちろん個々人によって人の命の受け止め方はさまざまだろうけれど、それがメディアなどによって「世間の雰囲気」のような感覚で均一化していくことを、僕は怖いと思う。