ラス2

集中講義は今日を含めてあと2回。今日はパレスチナイスラエル問題の話。かなり「今」を意識した活動をしている講師の方だった。学生もずいぶん一生懸命聞いてたし、反応も相当なものだった。

ただ、これはあくまで「歴史学」っていう立場に立った限定付きの話ではあるけれど、今直面している問題、今何をしなければいけないのか、という問題があまりに問題関心として大きくなりすぎると、学問というよりはむしろジャーナリスティックな方向、あるいはNGOなどの活動を自らやっていく方向に流れていきそうな気がした。

もちろん、「誰の視点に立つのか」ということをつねに意識するのはとても重要なことであって、パレスチナではどうなのか、あるいは戦場の最前線にいる兵士たちはどうなのかってことは、今考えなくちゃいけない問題であることは確かだ。ただ、そういう人たちの声は、今耳を傾ければ聞くことができる―もちろんそれが容易いことなどではないことは承知しているつもり―。けれども、すでに生きている人がいないという状況のなかで、過去におけるそういう声を呼び起こし、再び蘇らせるという歴史学の営みは、「今何が」といった問題意識ほど直接的に問いかけてくるものは確かにないかもしれないけれど、決して「今何が問題なのか」という問題関心に劣るとは思わない。

「今何が問題なのか」という問いを突きつけられた時、過去を考察の対象とする歴史学は立場が弱いし、そもそも「今」に対して歴史学の方法論なんてその問題へのアプローチの一つに過ぎない。それは当たり前のことだと思う。けれど、「その問題」の背景にあるものをていねいに分析していこうと思ったら、やっぱり歴史学の方法論が必要になってくる。「今そこ」ということに飛びつくだけじゃない、そんな態度だって必要じゃないかな、そんな印象を持った。