日本国宝展

今日はほんとは朝から起きだす予定だったのが、バスジャックの中継を見ていたので結局寝坊。しかも、警官隊が突入した5時3分より約5分前、空が白みかけてきて烏や雀の鳴き声が聞こえてくる頃にテレビを消してしまったので、突入の瞬間も見ることはできず。それにしても解決してよかった。西鉄に勤めている友人も、これでやっと安心して奥さんと子どもの相手ができることだろう。

というわけで寝坊してご飯を上野で食べて、2時頃東京国立博物館に到着。しかし、入場券を買うために10分ほど並んだかと思うと、今度は国宝展の開かれている平成館にはいるまで40分待ちとのこと。うんざり。

ようやく館内に入るも、とてもゆっくりモノを見られる環境ではない。『御堂関白記』や『北山抄』『一遍上人伝絵巻』、国宝ではないけど『吉備大臣入唐絵巻』、イロイロな仏様のお姿など拝観。それにしてもひどい混雑で、まだ西武線の急行の方がマシじゃないか、というくらいの込みようだった。随分見てないモノも多い。それから忘れてはいけない『沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじ-らでん-こんどうそう-みこし)』、つまり鞆淵八幡宮のおみこしも、わざわざ東京までやってきていた。

でも図録を見ると後醍醐の置文とかもあったようだし、金沢貞顕ら北条氏の肖像画なども展示替えで見損ねた。おまけに、『粉河寺縁起絵巻』はどうやら展示してあったのに見損ねたようだ。あの混雑ではとても全部は見られないからなあ。それにしても残念。

でも、もう5時になろうとする頃平成館を抜け出して行った本館の2階で、『明月記』『実躬卿記』『長講堂領目録』『近衛家所領目録』、『フランシスコ・ザビエル像』、そしてそして、『石清水八幡宮護国寺略記』が見られたのはよかった。

この『略記』、ちょっと調べてみたら、一昨年『石清水八幡宮文書』の未指定分文書が重要文化財に追加登録され、同文書中の「田中宗清願文」が重要文化財に指定された際には、重要文化財指定を受けていなかったようだ。で、今回独立して重文指定を受けることになったのだろう。

『略記』では奥書の部分が展示されており、石清水の祠官である権別当法印田中宗清の花押が据えてあった。花押は石清水の人物によく見られる感じのやつ。字そのものは、世尊寺行能の筆ということが奥書に書いてある。

むしろこっちに時間かけて見たほうがよかったような気がするなあ。


その後ちょっと調べてみると、淡路島の兵庫県五色町にある鳥飼八幡宮の神輿も鞆淵のと同じ物らしいことを知る。この神社も弘安十年の関東裁許状なんかが残っている石清水八幡宮の別宮である(裁許状そのものは尊経閣の石清水文書だけれど)。ちょっと面白いなあ。