今この日記は実家のパソコンで書いている。で、ここはインターネット環境ではないので、いつが最後の日記だったのか思い出せないのだが、たぶん出発前日だっただろう。

27日は出発。18切符なのだが、定番の大垣夜行は使わず、12時40分、快速アクティーにて東京駅を出発。事前に大丸地下でウニ・イクラ・鮭のほぐし身・数の子が山盛りに載った大漁盛弁当とビールを準備し、車中で食べ、飲む。乗り継ぎは順調に進み、20:15には京都駅へ。京都駅地下街Portaの洋食屋さんでハンバーグを食らい、21:32発のムーンライト九州号で九州に向かう。

翌日は7:27に博多到着。そのまま鹿児島本線に乗り換え、鳥栖でうどんを食い、長崎本線へ乗り換え。さらに肥前山口佐世保線に乗り換えて、佐世保へと向かう。途中、陶器で有名な有田の辺りで豪雨に見舞われた。まあ車内なので特に問題はなかったが、どうも同じころ別のところでは「ひょう」が降り積もって(!)いたそうだ。

佐世保に着いて、とりあえずホテルに入り、シャワーを浴びる。すっきりしたところで市内に出る。佐世保は日本でのハンバーガー発祥の地だそうで、ホテルのロビーのおねえさんに聞いたハンバーガー屋に行ってみる。そこはなんというか、ちょっと場末の喫茶店のような感じだったが、出されたハンバーガーはさすがにしっかりと作ってあった。パンの切った面も焼くのかあ、とちょっと感心。

食後、その真裏にある、防衛庁の史料館に行ってみる。その史料館は7階建てで、上の展望ロビーからは佐世保港の様子がよく見えた。で、展示の内容は、僕はバリバリの軍国史観を想像していたのだが、まったくそんなことはなかった。第二次大戦前までは、世界の動向と絡めながらかなり実証的に海軍の歩みを組み立てている観があった。たとえば日露戦争を総力戦の嚆矢と位置付けているところなどは、結構新鮮な見方だった。元号ではなく西暦表示が先に来ていたのも意外だった。

ただ、第二次大戦頃になると、なんとなく価値判断を避けているような内容になっていた。海戦に重点が置かれすぎて、日米の補給の差などがやや見にくいグラフの扱いだけというのは、海軍の戦略的な点への反省という意味からも、もっと充実した説明が必要なように感じた。

まあ概して展示内容そのものは結構面白く思ったのだが、僕らの後に入ってきた団体さんを案内していた自衛隊らしき人の説明とはかなり落差があった。彼は零戦のところで紀元2600年の話をしていたのだが、今は紀元(皇紀)何年だなどと言っていたり、なんだか軍の装備の勇ましいところだけを取り上げて説明していたりであった。この周辺の年配の人相手だとこういう説明のほうが喜ばれるのかもしれないなあ、とは思うが、それではこの展示が泣くよなあ。

ただ僕が感じたこの落差は、必ずしも僕と彼との個人的な考え方の相違に基づくだけではないような気もする。つまり、右か左というようなことではなく、海軍という過去の存在を客観的な対象として見ようとしているのか、あるいは何らかの思い入れや趣味の対象として見ようとしているのかの違いなのかもしれないなあ、と思ってみたりした。Zさんは以前研究対象への思い入れについて書いていたが、ここではそういうレベルではなく、そもそも研究的な手法を用いるのかそうでないのかの違いのような気がする。そして研究的な手法を用いないで叙述される歴史がある一定の支持を得ている以上、歴史学は科学だとしてそういったものを切り捨てればいいで済まされる問題ではないだろう。根はかなり奥深いように思う。

その後市立図書館に行って史料調査。夜はアーケード街のとんかつ屋さん「かつ亭」でロースカツセット。肉厚でかなりうまい。これで980円はお得。