靖国神社。

昨日、今日のNHKスペシャルの話ではなくって、実際に行ってきた、という話。

僕はこれまで靖国神社に行ったことがなかった。別に行ってみたいとも思っていなかったんだけれど、たまたま行ってみたいという人がいたので、ちょうどいい機会でもあるし、行ってみようか、ということに。

15日の一日前で、しかも日曜ということもあってか、人出は普段より明らかに多いと思われ、また観光バスが何台も連なって駐車していた。

鳥居をくぐると、白い服を着た一団の人々が喇叭を吹きながら行進していた。軍服ではなかったあの人たちは、いったい何だったのだろう。

門の前では、西日本のある県の遺族会の人々が、勢揃いして記念撮影をしていた。ツアコンが持っている紫の旗には県名が書いてあり、人々の胸には○○県遺族会と書かれたバッジが付けられていた。だいたい、60代から70代の人々だっただろうか。

境内では、「大東亜戦争が云々」といった人々が出店を構える一方で、普通のお土産物屋さんの出店もあり、また茶店では暑さをしのぐ人々がジュースやアイスクリームを買い求めていた。人々の上からは、蝉の声がこだましていた。

その後、僕たちはこの神社の宝物館・博物館に当たる遊就館に向かった。最近リニューアルされたということも情報として知っていたので、どんなものか、そういう興味もあった。

館に入ってすぐに目にするのは、よく言われる零戦ではなく、泰緬鉄道を走っていた蒸気機関車のC56であった。ほとんどのところで日本のSLと同じであるけれども、連結器が自動連結器ではなく、ねじ式なのかな、見たことのない連結器の形をしていて、それが日本で使われていたものではないことを物語っていた。

展示コーナーは、前近代の武器を扱った一部屋と第一次大戦後までを扱ったその他の部屋が2階の展示室で、「大東亜戦争」を扱ったのが1階の展示。とにかく展示室がたくさんあって、ちょっとした展示だとばかり思っていた僕は、率直にびっくりした。

展示は、ひとつひとつだと長くなるので、全体的な感想にとどめたいけれど、とにかく、軍事のことばかり。さすがに露骨に感情的な説明はないけれど、なかには南京事件の説明で「市民には喜ばれた」とか、さすがにそれはないだろっていうような説明もあった。あと、戦死者数から考えても太平洋戦争にスペースを費やすのはしょうがないのだろうけれど、市民の姿がまったく見えてこない。佐世保で行った自衛隊の資料館みたいなものならわかるけれど、これで近代史を見せてるってことになるんなら、それはあんまりだと思う。

最後のあたりで展示されていた、戦死者のコーナー。結局、遊就館の展示はあれに尽きるんじゃないのかなと思うんだけれど、そこで聴いた慶應の大学生による“声の遺書”が、印象に残った。彼の話していた、父母らへの感謝や幼い頃の懐かしさといったものを聴いて初めて、人間の姿をみたような気がした。軍神、などと言われても、当時の大義名分が大々的に書かれているようなことを、そのまま鵜呑みにする気にはなれない。ずーっと勇戦礼賛の調子でうんざりしていただけに、さらに印象に残ったのかもしれない。

見学者に、若い人々が多かったこと、8割くらいまでが戦後生まれだろうと思われることには、少し驚いた。ただ、そのうち半分くらいは、ミリタリーオタクないしネットウヨク系なのではないかと思わせる雰囲気を醸し出していて、ちょっと臭かった。外国人も目立ったのは、季節の影響があるのかもしれない。

個人的に印象に残った人物もいる。小綺麗な麦藁の帽子をかぶり、白くてパリッと糊のきいたワイシャツを着て、子どもに「いおうじま(硫黄島)」の読みは“間違い”で、「いおうとう」と読むのが正しいと力説していたヤツに、僕は無性に腹が立ってしかたがなかった。なんでヤツはこう、思い込みが激しいんだろ。なんでまだ小学校にも上がらないかのような子どもに、こういう思想を一方的に植え込まなくちゃいけないんだろうって。

外に出ると、まだ蒸し暑さは残っていたけれど、でも、正直なところほっとした。