「昭和館」

今日は自転車で都内へ繰り出した。まずは新青梅街道新目白通りを通って神保町へ。古本屋地図をGet。その後九段下から新宿に向かおうと思ったら、目新しいビルが建っていた。何だろうと思ってみてみたら、結構問題になっていた「昭和館」だった。ガードマンのおじさんがパンフレットを持って外に立っているくらいだから、たぶん閑古鳥が鳴いているのだろう。まあ時間もあったし物は試しだと思って、中に入ってみることにした。

館の入り口は1階にあるのだが、展示施設は7階から6階という奇妙キテレツな造り。どうしてそういうことになったのだろう?まあいいやとエレベーターで7階まで上り、受付でチケットの半券をちぎってもらって展示室に入ると、いきなり千人針。まいった。さすが厚生省という感じ。

中の展示品はおおむねレプリカではなく本物。ビデオなどの視聴覚装置がふんだんに設置されていた。1943年の学徒出陣の時のニュース映画に付けられていた音楽が流れていた。その映像にはちょっと興味があったのだが、あまり時間がなかったので今回はパス。

展示物一つ一つをじっくり見る時間がなかったのが残念だったが、それでも足を留めて見たもの一つ一つには、それぞれの背景のようなことが伝わってきて、じっくり見れば面白そうだという感じは持った。ただその分、展示全体としては、なんというか、「戦中戦後は大変だったのよ」ということ以上のメッセージが伝わってこない。まあ、設立の経緯が経緯なだけに、そうなるのは当然だろうけれども、やはり物事の一面しか見せられていないような感じだ。

ただ、7階から6階へ行く階段の踊り場に張ってあった終戦の日の新聞にはなぜか見入ってしまった。ああいう新聞って、高校なんかの日本史資料集には、新聞の見出しの部分だけしかわからないくらいの大きさでしか写真が掲載されないが、そこに張ってあったのはフルスケールだった。

終戦詔勅はまあこんなもんという感じだったが、紙面はもちろんそれだけではなく、ポツダム宣言を受け入れた「終戦」であるという説明のための記事も載っていた。で、カイロ宣言ポツダム宣言の内容も掲載されていたのだが、それらが掲載されているということは、これまでそれらの宣言が連合国側から発せられていたことが国民には知らされていなかった、ということになる。書きぶりからしてそのような感じだった(この辺、あくまで8月15日付の新聞だけでの記述です。もし史実と違うのであればご教示いただけると嬉しいです)。

でももっと面白かったのは、そんな重大記事の新聞の一面(一面しかなかったのかも?)にもちゃんと広告が載っていたということだ。これは意外だったなあ。

その後新宿に向かい、新宿中央郵便局で速達を出したあと、ちょっと金券ショップに立ち寄ってみた。椎名林檎のチケットもあるやんけ、4,500円なのに8,000円もするやんけ、とか思っていたが、どうも違和感がある。よく目を凝らして見ると、なんと80,000円の見間違いであった。ひょえー。僕からは逆立ちしても出てきません(泣)。

その後髪を切りに行き、ラーメンを食って、新青梅を西行して帰宅。たぶん40キロ以上自転車に乗ってるよなあ。

 

明日から九州方面に向かうので、しばらく更新はお休みです。帰宅はたぶん土曜か日曜でしょう。貧乏というのとじっくり本を読みたいということで、この歳になって18切符の旅です。ふぅ。