帰京(その1 1月17日編)

弟の結婚式に出席するため土曜から九州に入っていた。式は博多。式後地元までマイクロバスで帰った。

結婚式そのものは自筆のメッセージ入りカードなどがあって、まあよかった。ただ身内の結婚式なので、友人の式に出てるときとは違っていろいろと気遣いしたり裏が見えたりして、気楽ではなかったなあ。

お嫁さんの両親とは初めての対面だったのだが、なかなか気さくでいい人のようだ。博多の屋台で酒でも飲んでみたい。彼女のお兄さんは僕と同い年だそうだ。同じく結婚してない。まあ僕の父親も次男坊なのに兄、つまり僕のおじさんより先に結婚したから、まあそういう家系なのかも。

 

翌日は実家でだらだら。犬を散歩に連れていってやったくらいだろうか。


翌々日、月曜は社会人なら出勤しなければならないところだが、月曜のゼミは休むことにして実家から18切符で帰京することにした。

月曜は自分の研究しようとしている神社に行くことにした。まずは佐賀の河上神社(与止日女神社)。ここは佐賀市からバスで約20分、長崎自動車道の佐賀大和インターからすぐの所にある神社だ。この神社には、鎌倉時代末期の神社造営の史料がたくさん残っているのだが、とりあえずは一度行ってみようというだけのコンセプトなのでごく普通に見学。「河上」というだけあって、本当に川が山間から佐賀平野に注ぐ、その川のほとりに位置していた。

この神社には、昔の神仏習合の名残である神宮寺が今も残っている。その神宮寺との位置関係を見てみようというのが今回の見学のねらいである。

神宮寺は、昔は神社の事実上のあるじのような存在だったのだが、明治維新の時の廃仏毀釈の流れによってあるところは寺そのものがなくなってしまったり、残っていても往時を偲べないほど小規模だったりする。

ここの神宮寺は思ったよりも往時の規模を偲ばせる大きさだったように思う。が、たくさんお地蔵さんやらがある割には、中世にさかのぼりそうな石造物が一つもなかった。あまりこの寺のことを調べていかなかったのだが、移転したりしてるのだろうか?


次に向かったのは、千栗(ちりく)八幡宮である。だがその前に、佐賀駅椎名林檎の「ギブス」と「」のポスターを発見してしまったのだ。旅行中にもかかわらずついそのポスターが欲しくなってしまった僕は店員に分けてもらえるかどうか聞いてみたが、やはりだめだった。うーむ、あのポスターどっかで手に入んないかなあ。

気を取り直して千栗へ向かう。途中吉野ヶ里遺跡公園の駅で降りて、蒙古合戦後の恩賞をめぐる武士達の活動の舞台になった「東妙寺」に寄ろうかとも思ったのだが、電車の中から境内が一望できたのでパス。久留米に向かった。

千栗八幡宮へは久留米から行くのが一番いいだろうとは思っていたが、久留米駅にまさかレンタサイクルがあるとは知らなかった。でもよくよく考えてみたらブリジストンの本拠なんだし、あって当然かも。そういえば道路も自転車道がやたら整備されてたなあ。

千栗八幡宮へは、久留米駅から筑後川を渡り自転車を走らすこと約15分。久留米が福岡なのに対して千栗は佐賀県北茂安町。でも県が違うのに意外と近い。

この神社にも神宮寺があって、今でも一応残っていた。が、数年前に立て替えたらしく、ぴっかぴかであんまり神社の神宮寺としての歴史を感じさせるものはなかった。まあここも位置関係を確かめるのが主目的だったのだから別にいいのだが。神社の方は戦後火災にあったということを指導教授から聞いたことがあったので、建物が新しかったことに特に驚きはしなかった。

神社にはやや古そうな宝篋院塔があったのだけど、中世までさかのぼるのだろうか。本殿の脇には池の跡もあったのだけど、もともとはあの辺に何か別の建物があったのではないか、などと空想を巡らしたりした。


列車の時間までにはまだちょっと余裕があったので、久留米城に寄ってみる。有馬氏の居城だそうだ。ただこの有馬、南北朝から室町の頃に大活躍した赤松氏の裔らしい。全然知らなかった。

何も予備知識を持たないまま行ったのだが、石垣がたいそう立派だったので、もっと時間のあるときにゆっくり見て回ればよかったかなあとちょっと後悔する。

今は城の本丸が公園になっていて、有馬神社という神社が鎮座している。まあ維新後に建てられた神社なのだろう。有馬記念館という博物館も中にあって、藩主有馬家の什器類を展示してあった。

だがここで記帳してしまったりして油を売っていたのがいけなかったのだ。久留米駅に自転車を急がせたにもかかわらず、乗るはずの快速列車に目の前で発車されてしまった。仕方ないのでその後の特急で追いかけることにした。1300円あまりの無駄な出費。ちょっと痛かったが、ゆったりシートに座れたのでまあ良しとしよう。


その後小倉、小郡で乗り換え、22:15に広島着。広島でカプセルホテルに一泊。薬研堀という歓楽街のど真ん中にあったホテルなので、歌舞伎町より激しいポン引きにはちょと閉口した。まあ、両脇に荷物抱えた学生風情に本気で客引きしようとは、向こうも思ってなかっただろうけれど。その日は「ネギラーメン」てのを食っておやすみ。(つづく)