「大学教授の職責とその地位」

図書室での仕事始め。今日は始業式だけだったので、長期貸出の返却だけで平穏に終わるかと思っていたら、閉室の10分前になって天井からの水漏れを発見。ハヤカワ文庫を避難させる。余計な仕事で20分の残業。ただのバイトなのにね。

 

図書室ついでにもう一つ。今僕は図書室ではカウンター当番と書架整理、そして大半の時間を書誌データの遡及入力に費やしている。仕事だから機械的に入力すればたぶん大した時間は掛からないんだろうけれど、普段手に取らないような本を見る機会でもあるので、どんなことが書いてあるかくらいは見るようにしている。

で、年末頃入力していた『現代日本思想体系』というシリーズの中の18巻「自由主義」(筑摩書房 1965年)という本。ちょっと気になってパラパラとページを繰ってみた。ちなみにこの本における自由主義っていうのは、一般的な自由主義じゃなくって、第二次大戦前の日本における思想のことに限定されている。ちょうど軍部とともに国家主義が台頭してきた時代にあって、天皇専政みたいなことを指向する軍部や極右に対抗する勢力が自由主義だったわけだ。まあ名前で言えば、天皇機関説美濃部達吉やらジャーナリストの長谷川如是閑なんかである。

そしたら、このタイトル、「大学教授の職責とその地位」に出くわしたわけだ。僕はあまりのインパクトに眠気も覚めてしまった。すげーよ、とにかくこのタイトル。今や、スーパーひとし君とか言ってる吉村○治だって、ずっと前テレビの深夜放送で酔っぱらって醜態をさらしていた心理学の富○隆だって大学教授だぜ。別に彼らが研究してるかしてないかは知らない。けど、お前の職責とその地位はなんなんだ、って感じはするなあ。

まあこの論文の中身そのものは、戦争前「自由主義だ」って事で当時の文部大臣鳩山一郎(邦夫とか由起夫の親爺かな、確か)が京大法学部の教授滝川幸辰を辞めさせようとした、いわゆる滝川事件の時に、同じ京大法学部教授の佐々木惣一っていう人が彼を弁護するために書いた論文。だから必ずしも一般的な大学教授論を展開してるわけではないんだけどね。でもとにかくこの仰々しいタイトルに度肝を抜かれたわけです。

もちろん当時の帝大教授なんて、今の大学の教員とは比べものにならないくらい社会的な地位も権威も高かったわけだからこそ、こんな論文名が付けられるんだろうけれど、それにしても当時の彼らのエリート意識の高さと、今との落差を感じずにはいられない。

まあ、どっちがいいかって言ったら、実は僕は今の大学教授の方がましなような気がするんだけどね、鼻持ちならない特権階級よりは。