本の入手経路

たぶん半年くらい前のこと、朝からバイトで図書室、その後学校にいってなんて感じで結構疲れて帰りの電車に乗った。自分ちのある駅で降り、自転車置き場の自分の自転車を見つけた僕は、かごに何か本が入っているのに気付いた。

ジャンプやマガジンなんかのマンガやスポーツ新聞なんかがよく入っていることはあるんだけれど、本がかごの中に入っているという経験はしたことがなかった。しかも、青版の岩波文庫である。何だろう、と思って手に取ってみるとそこには、




死に至る病

 

キェルケゴール




と書いてあった。読み捨てにされがちな小説なんかならともかく、『死に至る病』である。さすがに薄気味悪くなったのだが、捨てずにちゃんと持ち帰った(笑)。中には書き込みがあった。古本屋の本の書き込みを見たことある人ならわかってもらえると思うのだが、これもその例に違わず、最初の部分だけしか書き込まれておらず、この本の持ち主が途中までしか読んでいなかったことを暗示している。だから自転車のかごの中に入っていたのだろうけれど。

たまたま研究棟のリサイクルボックスの中に、朝日百科『世界の歴史』がゴソッと一括で廃棄されてたのを僕が譲り受け(あくまで譲渡と考えましょう)、少しずつ家に持ち帰っている途中、ふと思い出した。

学部の頃住んでいた寮の建て替えの時、寮の本棚から譲り受けた本もある。映画になったマルグリット・デュラスの『ラマン(L'AMANT)』なんかがそうだ。まだ映画になる前から寮の書架にあったのだが、あんな本を誰が男臭い寮の本棚に残していくのだろうか。それも意味不明の鍵かっこの書き込みを残して。フランス語のテキストの訳本に使ったのではないかと、今では踏んでいるのだけれど、もはや知る術はない(一応こういう背景があったわけよ、映画に誘ったのには)。あと、亡くなられた先生への献呈本(著者は健在だけど)というのも古本屋で買ったことがある。著者直筆の短信までご丁寧に副えられていた(いろいろとえぐいからこれ以上は書かないけど)。

まあ基本的には欲しかったからこれらの本が手元にあるのだが、中にはたまたま今まで本棚に居場所を見つけた本もある。僕が死んでしまうとき蔵書目録を残さなければ、たぶん一括して僕の購入した本、というふうに見なされるんだろうけれど。