事故。

出がけに近所の珈琲豆屋さんに行ったら、なんだか賑わっていた。ほんとは買い物してすぐに駅に向かうつもりだったんだけれど、お店のご主人や以前会ったことのあるお客さんと少しおしゃべりしてから駅に向かった。

橋上駅舎の改札に登る階段から見えた電光掲示板に、もうすぐ列車が来る表示が出ていたので改札に急いだ。ところが、自動改札は全て締め切られており、改札内に入れない。「改札止めしているな」と瞬時に理解した。どうやら人身事故だったようで、確かにホームの先に列車が停止している。ああ、どの駅であったんだろうと思っていたら、改札が一つ通ることができるようになった。急ぎではないが用事のあった僕は、さっそく改札内に入った。

ところが雰囲気が不穏な感じだった。駅員だけでなく消防隊、警官もいる。昔駅で働いていた者の直感で、この駅付近で人身が起こったに違いないと確信した。その予感は的中し、やはり駅のすぐ近くで人身事故が起こったようだった。ホームの方を見ると、青いビニールシートで覆われた担架が救急隊に運ばれていく。橋上駅舎の改札からホームに降りようとすると、涙を浮かべた女の子が階段を上がってきた。「ああ、見ちゃったんだな」と思ったんだが、その時はまだすぐ近くで事故が起こったなんて思いもしなかった。

階段を下りるとホームに人だかりができている。どういう状況なんだろうと思うが、線路を挟んで向かいの下りホームに救急隊や警官がいる。下りホームの途中には緊急停車したのか、列車が止まっている。僕はてっきり、踏切で事故が起こったものだとばかり思った。しばらくその場にたたずんで、向こうに止まっている列車を眺めていた。ところが、救急隊が、僕のいるホームの真向かいから真下の線路をのぞき込む。え、なんだろう?と思って視線をそちらに移したのが、実は間違いだったのだ。

その視線の先には、事故を物語る痕跡が、ありありと残されていた。目の前に、その赤い痕跡は広がっていた。

見なければよかった、と思った。でも、見てしまった以上、しかたがない。ふと視線を自分のいるホームに移すと、もうほんの足下にも、そのかけらが飛んできていた。

あっという間に事故の当該下り列車は運転を再開し、上り列車も程なくやってきた。私鉄は、というか少なくとも西武では、JRのように検視をやらないので、人身といえども案外早く復旧する。これは昔から変わっていない。やってきた列車に乗車し、ふと家から持ってきた夕刊に目をやると、そこには「派遣切り」の話が一面に載っていた。

実際のところ、そういう雇用情勢の悪化が原因で列車に飛び込んだのかどうかもわからない。冬になると鬱になる季節性うつ病なのかもしれない。ただ、あの場で人が一人、おそらく亡くなったのだけは現実だ。

たまたま珈琲豆屋さんでちょっと油を売ったせいで、僕は直接その現場を見なくてすんだ。それは僕個人にとってはそれなりに幸運なことだったのかもしれないが、さすがにだから「ラッキー」だったという気分にはとてもならなかった。

いろんなことが、なんとかならなかったものか。もしかしたら、気づいて非常ボタンを押せたかもしれない。いまさらそんなことを考えてもしょうがないことはわかっているのに、そして駅員時代に幸運にも人身に遭遇したことがなかったからといっても知識としては知っていたはずだったのに、やっぱり現実は心の中に大きな影を残した。

なんだか、いろいろと吐き出したい思いはあるのに、いざ文章にしようとすると、できないものなんだな。文字として書けるのは、ただご冥福を祈るばかりだという、ありきたりの言葉だけしか出てこない。