加藤紘一氏実家放火焼失。

僕がそれよりも恐ろしく感じたのは、加藤紘一の山形の実家が、何者かによって放火されたらしいという事件だ。これは、いわゆる「テロ」なのではないか。右にしろ左にしろ、自由な言論空間があって初めて実現しているわけで、「放火」によって言論を封じようだなんて、まさに戦前回帰だ。

そして、そうした行為とともに嫌な予感を覚えるのは、ネット上で犯罪行為を肯定するようなことを書き込むヤツが少なからず存在すること。普通の社会ではさすがに放火犯を否定的に見る人が圧倒的だと思うし、こんな落書き程度の言葉なんて相手にするに値しないと切り捨てることもできる。上で「B層」と書いたのは、こういう事件を前にこんなことを書き込むような連中を念頭においてのことだったんだけれど、ただ、そうした連中の中で、民主主義の原則を守ることよりも自分の意見を通すことの方により価値を置き、こうした行為を肯定する連中が、少しずつ社会の中で増えていくのだとするならば、「便所の落書き」だと無視しているだけではすまなくなってくるのかもしれない。こうして言論の自由が少しずつ侵されていくことが、一番怖い事態だと思う。