橋龍死去とこの10年の政治。

まだそんなに年ではないと思っていただけに、ちょっとびっくりした。彼が首相だった頃は、自民党がいったん下野してからまだ日が浅かったから、為政者にもそれなりの緊張感があったように思うけれど、小泉人気が定着しちゃってからというもの、そういった緊張感は失われていったような気がする。ダラダラしているというのとは違うけれども、真摯な姿勢というものからは遠くなってしまったような気がする。

小泉政権の問題はきちんと話し出したらきりがないけれど、彼個人のパーソナリティということに限って問題を指摘するならば、きちんと議論すべきところで変に茶化したり、逆にへんてこな使命感や決意表明で頑なな姿勢になったり、とにかく感情的・情緒的なところ、首相個人の感覚や感情で、政治が決められてしまっているという感を強くもつ。それがうまくいくと、ハンセン病問題の対応といった、官僚の論理ではどうしようもないところでの政治的解決という劇的なメリットをもたらす。一方、靖国参拝問題では、元の戦争当事国の最高責任者であるというきわめてパブリックな者の行動であって、論理的で冷静な議論によって対応を決定すべき政策の問題であるのに、実に個人的な感情的・情緒的なところで決定がなされ、議論の途が閉ざされてしまっている。

小泉の醸し出す緊張感というのは、結局のところ自分の信念といった点に関する事柄ばかりであり、それ以外のところで真摯な姿勢を感じることができない。橋龍の弱点は、逆に小泉のような自らの感情・信念に基づいた断固たる決断というところにあったんだろうけれど、少なくとも真摯な姿勢というものだけはあったような気がする。そういう意味では、この10年の政治状況がはたして進化したのかどうか、かなり疑わしいような気がするな。