ビラまきで逮捕。

新聞で見るまで全然知らなかったのだが、早稲田大学文学部のある戸山キャンパスでビラをまいていた男性が逮捕されるという事件が起こっていた。ニュース記事はこちら。また、大学側の説明はこちら。大学側の対応についての抗議サイトはこちら

にわかには事態がわからなかったのだが、記事などをよく読んでみると、どうやら本部キャンパスの地下部室撤去に絡んでの批判ビラをまいていたところ教員から立ち退きを要求され、いったんは立ち退いたものの再びビラをまき始めたため、身柄を拘束し警察に引き渡した、ということのようだ。

立川の防衛庁の官舎でビラまいてて逮捕されたって事件、あれもひどいと思ったけれど、今回は言論の府であり、表現の自由が最大限尊重されなければならない、しかもそういったことに最も敏感であらねばならないはずの大学の場での出来事だ。さらに、早稲田大学文学部といえば、数ある大学のなかでもそういった自由が最大限に尊重されていると自他共に認める大学のひとつだろう。

そんな場所で、大学みずからが自分の首を絞めるような暴挙に出るとは思ってもみなかった。その点で、今回の事件は立川の事件よりもはるかに深刻な意味を持つ。今回の文学部の対応は、大学という場や学問・表現の自由ということの意味の重さを熟慮した上での行動だとは思えない。

文学部側の説明では教員が脅迫されたとあるが、抗議サイトでは「(付きまとうのはやめて)もう家に帰りなさい」と言っただけだという。どちらがどう言ったかについてはもはやわからないけれど、本当にこれだけしか言っていないのだとしたら、脅迫などと呼べるような言動とは到底言えない。

しかも文学部側の説明をよく読むと、意志決定の手続に重大な問題があるのではないかと疑わせる点がある。大学側の説明では、「脅迫」を受けたのが15日、その後執行部で協議して所轄警察署に通報して警備を要請した、とある。しかしその警備要請がいつなのかは明記されていない。そして、ビラ撒き・身柄拘束・逮捕は20日正午すぎ。警備要請については20日の教授会で了承を得たと説明されているが、この教授会が午後開催なのだとしたら逮捕のあとになるわけであって、了承も何も、全て事後承諾を求めるだけとなってしまう。

早稲田のような古く規模の大きい大学では基本的に教授会自治で学部が運営されていると思うし、こういった事態における警備要請や身柄拘束・警察への引渡などについては、当然学問の自由や大学自治などという大学運営の根幹に関わる問題であるので、おそらく教授会による事前の了承を取る必要があると思う。しかし文学部側の説明だけによっても、今回の事件が教授会の決定、すなわち文学部教員の総意に基づいたものではないことが浮き彫りになってくる。

今回の一連の事態が「執行部」というところでの決定だということがだいたい明らかになったわけだが、しかし「脅迫」ということであれば、確かに緊急性を要するという理由たりうるようにも思える。

だがここでも疑問が生じる。もし身体生命に危害を及ぼすような「脅迫」なのであれば、「脅迫」という事実そのものをこそ問題とすべきであり、ビラをまくこと自体はそれとは無関係であろう。しかし文学部側の対応は、文学部側の説明を読む限りにおいて、あくまでビラまきに対しての対応であり、「脅迫」に対しての対応ではない。とするならば、やはり文学部側はビラまきに対してその中止と退去を要求し、従わなかったために身柄を拘束して警察に引き渡した、としか解釈できず、「脅迫」云々はその正当化を図ろうとしたものとしか評価できない。

こういうところから推測するに、「脅迫」は方便であって、文学部側は当初から警察権力を学内に導入してビラまき男性の排除を狙ったのではないか。もしくは、偶発的に警察権力を呼び込むことになってしまい、後付けの理屈をひねり出したか。

いずれにしても、先述のように、今回の文学部側の対応は、表現の自由・学問の自由や大学自治といった民主主義社会における大学の理念を放棄し、安易に国家権力の介入を許してしまったわけだから、きわめて軽率な行動だったと言わざるをえない。今回の事件が大学としての自殺行為だとすらいえるほどの重い意味を持っているということを、当事者は認識しているのだろうか。

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最近社会全体がきな臭い感じだと思い始めてきたけれど、大学のようなところまでが安易な「不審者」の「排除」という論理を振りかざしてはじめたことに、本当に怖さを感じ始めている。この社会、本当に大丈夫なのだろうか。