匿名ということ。その2

最近盛り上がったネット上での議論を、気分転換がてらにいくつか見たんだけれど、まず対立軸として「実名」対「匿名」って形ではなく、「仮名」という第3項を組み入れて考えることにより、問題を解決しようとしている。

僕のサイトもまるっきりの匿名ではなく、「うさたろう」という仮名のサイトであるわけで、少なくとも「うさたろう」という名前で過去の記録をネット上にたどっていくことは可能だ。そこには、ネット上における一つの人格がある。

その「うさたろう」をどう考えるかってところなんだよな、問題は。で、それをどう考えるかは、そのサイトの性格によっても決まってくるような気がする。

僕のサイトでは、日々目にしたこと耳にしたことの意見を書くこともあれば、自分の個人的な思いとかそういうのを書くこともある。で、自分の見解や意見、あるいはエッセーといったものであれば、もちろん実名で出してもかまわない。それらは、僕が自分の意志で考えたことだから。これは別に、現実に会う人たちに僕が直接語りかけても、なんにも問題ないと考えてる。

一方、自分の個人的な感情とか思いとかっていうのは、移ろいやすくて、しかもそう感じたことに理由なんて無かったりする。そしてそういうことをもテキストとして示せるのが、日記のいいところだと、僕は思っている。

ただ、そんなことにまでいちいち実名の文責を背負いたいとは思わない。現実に会う人々には、そんな話をたぶん面と向かってすることはないからだ。現実の僕を知っている人だって、僕に会う時に、僕が今どんな感情でいるのかとかそんなことまでいちいち配慮したいとは思っていないだろう。僕だって、現実ではそういう感情を統御してるわけで、見せるところは見せるけれど、見せないところは見せない。

普段ならまずは見せないことでも、このサイトを見に来てくれる人になら、見せてもいい僕というのは存在する。たぶんそれが、僕のとりとめもない感情を書いてるところだったりするわけで。まあどうでもいい無駄なテキストかもしれないけれど(笑)

そういうのを示すのは、やっぱり実名じゃなくって「うさたろう」なんだよな。