最期の時。

いろんな人が、それぞれ、いろんな思いを抱きながら生きている。その一つ一つの思いが、それぞれかけがえのないもので、どうやったって代えられるものではない。僕にだって、ここには書けないような、でも自分にとっては大切な思いもあるし、大切な人もいる。

それが、ある一瞬で途切れてしまうっていう事態を、残された人はたぶん最初は飲み込めないと思う。途切れてしまった本人は、たぶんもうそれっきり。でも、途切れたって事実は、残された人の心にずっと残り続ける。いくら苦しくったって、残された人が記憶していなければ、その人の思いや面影、そして生そのものでさえもが世界から忘れ去られてしまい、データしか残らなくなる。そのことを考えると、残された人はやっぱり「もう忘れよう」という気持ちにはなれない。かけがえのないその人の記憶をとどめようとすればするほど、途切れてしまったことへの悲しみがよみがえる。

時間があれば、事実としての最期を迎える前に、少しずつ受け入れることができる。でも、不意に最期を迎えた人たちのまわりで残された人は、これから、その覚悟と現実を受け入れなくてはならない。結果的には受け入れざるをえないのだとしても、それは相当につらいことだと思う。

テレビを見ながら、なんとなく、そういうことを考えていた。