ちょっと古いネタだけれど

天皇の「強制には…」発言について。

こちらを読んで考えたんだけれど、この問題には二つの側面があって、一つは、天皇の個人的な考えに対してどうなの、という側面。もう一つは、「天皇が」こういう発言をするということについての側面。

基本的にはこの方の考えに賛成。ただ楽観的な見方なのかもしれないけれど、僕自身の印象としては、個人としての明仁氏は、少なくとも国旗国歌法案をもとに掲揚や斉唱を“強要”するような運用にはあまり賛成してはいないという気がする。明仁氏個人として、公務として天皇職を執り行ってはいるけれど、そのことと思想とが完全にリンクするものではないし。

イラク自衛隊問題でも、ここのリンク先のサイトではイラク「派兵」が問題になっていて、実際ああいう形での「派遣」は実質「派兵」だと思うので、「派兵」批判自体は正当なものだと思う。ただ「イラクへの派遣が派兵ではなく、そして合憲である」という政府の決定が手続上正当なものであるならば、天皇発言は必ずしも法的に逸脱しているとは思わない。むしろチェイニーに改めて日本の立場を示したとも言えると思う。

ただ、天皇職にある明仁氏個人の発言というのならともかく、天皇の発言としては、必然的に政治色を帯びざるをえない。天皇としての立場で言えば、「強制」発言は、あの法案を公布する時にはそんなことは書いてなかったぞ、おい、というところか。けれども国旗国歌を強制するような法案が手続上正当なやり方で議会を通ったならば、彼は自身の意志にかかわらず公布することが職務なわけで、そこに個人としての明仁氏の思想の入り込む余地はない。

そしておそらくは、天皇をあがめたてまつることで政治的な意見を通そうとする人々によって、あの発言も“土俵の内側”の問題として考えられることになるだろう。そして結果的には、国旗国歌の掲揚・斉唱推進の立場に取り込まれていく。

明仁氏個人の考えがクローズアップされてはいるけれども、いくら明仁氏のリベラルさを強調しても、彼が天皇という地位にいて発言する限り、その発言について批判を受けることはなく、「臣下の跳ね上がりをたしなめられた」という文脈に解される。だから、彼の発言は常に天皇制という枠組みのなかに回収されてしまう構造になっていて、天皇制自体は国旗国歌推進の方向に運動していく、ということになると思う。

だからやっぱり制度としての天皇制に、結局は問題があるというところに行き着くと思う。