沼津。

毎年夏に、中世史の研究者が集まって報告を聞いたり現地を巡見したりするセミナーが、今年は沼津で開催されて、僕も昨日までそれに行ってきた。

今年の報告は土豪論がテーマだった。僕の専門と直接関わるテーマってわけじゃあないんだけれど、だからこそどんな問題関心のもとに土豪論としてどんなことが研究されてきたのかといったことがわかって興味深かった。

翌日は、今川・後北条・武田の境界地域である沼津の史跡や文書を見学した。僕自身、あまり戦国の文書というものに触れる機会がないし、戦国期城郭や土豪屋敷跡なんかも、調査成果をふまえて見学するってことはなかなかできるもんじゃない。だから、今回のように報告と巡見のテーマを絞って開催することも、おもしろいなと思った。

ちなみに写真は、沼津のある土豪屋敷跡。塀の建ってるのが中仕切りの土塁跡で、土塁の切ってるところに立っているのは、土豪の子孫でこの屋敷に今でも住んでいる現在のご当主。土塁の奥が現在では住宅で、手前は茶畑になっている。

ただ、僕のようなどちらかというと中世前期をフィールドとする人は、参加にちょっと二の足を踏んじゃうかなあという気もする。ある意味ではそれだけ、日本中世史という研究分野のなかでも個別細分化が進んでるってことなんだけれど。

そういうわけで、宿は伊豆長岡だったけれど今回は巡見コースには組み入れられなかった中世前期の史跡を、夕方のちょっとした時間にまわってみた。時頼の遺骨を分骨したと伝えられる最明寺っていうお寺のお墓を見たあと、天野遠景の墓と伝えられるところに行ってみた。

僕は不勉強でちっとも知らなかったんだけれど、天野氏の本貫地って今の伊豆長岡からすぐの天野郷だったんだあ。なんでこんなところに天野の墓があるんだろって思ってたんだけれど、知らないうちに本貫地に来てたなんて!そもそも僕はこの辺の地理にはまるっきり疎くて、現在の伊豆長岡北条氏の故地だってことすらあんまり認識してなかった。さすがにこの辺のどこかに蛭ヶ小島があったことくらいは知ってたけれど。うーん、ここは他にもいろいろ見て回るところはありそうだなあ。

3日目は、まず中世以来書き継がれてきた「大平年代記」という村の記録の舞台となった大平村を巡見した。残念ながら水田には圃場整備が入ってしまっていたけれど、前近代の景観を色濃く残しているそうだ。この村が一望できる小高い山上にある鷲頭山神社の麓には、赤米らしい稲を栽培している田んぼがあった。神社の真下だったから、もしかすると神饌かもしれない。

そして最後の巡見地、三島大社へ。三島社では、文書を見学させてもらう。僕は今まで三島社のことをほとんど何も知らなかったと言っていいくらいで、今回ほとんど初めて勉強したって感じだった。けっこうたくさんの文書を所蔵しているんだけれど、神社としての研究はどうやら皆無に近いようだ。地域的に興味深いところでもあるし、神社研究としても取り上げてみる価値はあるかもしれないなあ。

という感じで、無事に終わる。このセミナーに参加するたび感じるけれど、事務局のみなさんは大変だなあ。どうもお疲れさまでした。

お昼に解散し、名物だという鰻を食し、新幹線で帰京。その後、三島社のことを調べに大学の図書館に立ち寄る。後輩がたくさんの論文をコピーしてた。そろそろ夏の報告会だもんなあ。