もう「建国記念の日」なんていらない。

今日は「建国記念の日」。勤め先の学校の教室に貼ってあった行事予定表に「建国記念日」とあったのを見て、「建国記念日」じゃなくて「建国記念の日」だからなと、生徒に注意を促すことくらいはしておいたが、そもそもなんで今日が祝日になっているのかということを、果たしてどれだけの人が知っているのだろうか。

この日の直接的な由来は戦前の紀元節である。紀元節とは戦前において神武天皇即位日とされた祝日であり、天皇制にとって重要な記念日であった。ただこの日は明治以前に宮中祭祀などは行われていなかった。1867年の王政復古の大号令における「神武創業」の辺りから、神武天皇の存在が意識され、『日本書紀』にある「辛酉年春正月、庚辰朔」とされている神武天皇即位日を祝うことを始めた。だが旧正月では不都合だったようで、新暦に換算した結果該当するとされた2月11日をもって紀元節とすることが、1873年に定められた。また1889年のこの日には大日本帝国憲法が発布され、その記念の意味合いも込められるようになった。

つまりそもそもの成立が近代になってからというわけなのだが、戦後になり紀元節は祝日としては廃止された。その後、この紀元節を復活させようとする保守勢力と反対する革新勢力との間でさまざまな論争が行われたあげく、国会では「建国記念「の」日」とすることで当時の国会で妥協が成立し、祝日として成立することになった。この祝日は祝日法に日付が定められておらず、政令で定められているという。

まあこんな感じの経緯をたどった祝日であり、したがってかつての保守・右翼勢力の側にとっては戦前の国家体制の継承・賛美という意味合いが色濃くにじみ出ている記念日である一方、かつての革新・左翼勢力にとってこの日は保守反動の象徴であるかのように映ったわけだ。そうした保守・右翼勢力の側の意図は、中曽根首相時代に「国民の祝日を祝う会」という財団法人が設立され、政府が後援し首相や衆参議長らが出席する「建国記念の日を祝う国民式典」が開催されることになったことからも、うかがうことができよう。

まあこうした経緯も僕はだいたいしか知らなかったわけで、ちょっとネットで調べたことの受け売りに近い内容なのだが、それで驚いたことが一つあった。それは、政府後援・財団法人国民の祝日を祝う会主催の「建国記念の日を祝う国民式典」が、2005年以降行われていない、ということであった。当時のニュース記事を調べても、中国のこういう記事くらいしか見つけることができなかった。
建国記念の日の国民式典、今年から中止に--人民網日文版--2005.02.12

これはちょうど小泉政権時代だが、彼の動向を示す官邸のサイトにも、2003年の出席記事を最後に「国民式典」の記事は見られなくなっている。この頃って、確か靖国参拝問題でいろいろと問題の多かった時期だと記憶しているのだが、意外なことに旧紀元節のような行事への思い入れは少なくとも小泉氏にはまるで存在していなかったようだ。そして、この式典は今年もまた行われていない。主催していた財団自体、2006年3月末をもって解散してしまったようだ。

ただ、こういう経緯は僕にとってはある程度納得のいくものだ。

戦前までの日本において、国家といえば天皇であり、だから天皇制を抜きに国家を語ることなんてできなかったのであり、だからこそ天皇機関説ポツダム宣言受諾に際する「國體の護持」をめぐる問題も起こったのである。戦後になってもそれは旧紀元節復活運動のような形で引き継がれていた。しかし昭和天皇が死に、そして戦前における彼を知っていた同時代人の多くもまた死んでいくなかで、かつてなら保守・右翼勢力の中核的価値であったはずの天皇制をめぐる問題が、次第に後景に退いていく傾向が続いていったように思う。

90年代以降のナショナリズム、それは90年代末期の小林よしのりブームに象徴されるといってよいだろう。そこでは「国家」への賛美・擁護などはあっても、敗戦までそうした「国家」の中核的存在であった「天皇」に対しては、かつてなら考えられないほどに無関心だったように思う。靖国問題にしても、かつてなら遺族や保守・右翼勢力による要求のイデオロギー的核心は天皇による親拝であったんだけれど、90年代末から2000年代に再び靖国が問題となった時に論点となったのは首相の公式参拝や神社の国家護持をめぐる話ばかりで、天皇の親拝なんてほとんど話題にも上らなかった。

90年代中頃以降のナショナリズムをめぐる問題のなかで僕が特徴的だなと思うのは、この「天皇」「天皇制」をめぐる論点の後景化である。式典が中止に追い込まれ主催財団が解散したというのは、旧紀元節をめぐる問題に保守や右翼の側でも関心が薄らいでいったからにほかならず、それはつまり「天皇」「天皇制」への関心の希薄化だろう。もっというならば、それは日本におけるナショナリズムの現出の仕方そのものが質的に変化した、ということではないかと思う。

これはナショナリズム天皇天皇制と結びつける、あるいは天皇天皇制を通じてナショナリズムを主張するというというあり方そのものが、戦前の国家や社会体制に規定されていたということだったのだろう。そしてそれを生身の人間として体現していた昭和天皇が死に、また戦前を知る人々が社会から退場していったことにより、ナショナリズムのなかで戦前のあり方に規定されていた天皇をめぐる問題が、次第に消えていったということなのだろうと思う。

もしそうだとするならば、もはやナショナリズムは「天皇」「天皇制」を必要としなくなってきており、天皇制は現実レベルとして「過去の遺物」になってくる。日本が現在、こうした状況にあるのだとするならば、もはやナショナリズムの問題からも抜け落ち、戦前・戦中派のノスタルジーに過ぎなくなった旧紀元節などを、改めて復活させる意味もまた無くなったといわねばならないだろう。

こうした現状において、「建国記念」なる日をわざわざ旧紀元節にする必要性はもはやなくなってきていると思う。そもそもがあやふやな形で決められた「神武天皇即位日」であり、それは明治憲法体制下において「建国記念」の意味を持っていたに過ぎない。「建国記念の日」は廃止しちゃって、もし代替の祝日が必要なのであれば、サンフランシスコ講和条約締結の日を「独立記念日」にするとか、8月15日を休みにするとかした方がいいんじゃないだろうか。