北陸の旅(その1):立山信仰の故地を歩く

昨日まで、富山と飛騨に行っていた。

僕は日本の全都道府県を通過したことがあるのだが、富山県にだけは下り立ったことがなかった。1991年の夏、初めて北海道を訪れる際、寝台特急トワイライトエクスプレスの車中から、夕暮れの富山の気色を眺めただけであった。ぜひとも富山を訪れてみたいという気持ちはあったが、これまでその願いは叶わずにいた。

ところが、ゼミの後輩が結婚式を挙げるので参列してほしいとお招きを受けた。それも飛騨高山でという。富山に行くにはこの機会を逃すわけにはいかない。というわけで富山訪問を決定した。

初めての富山。どこに行くべきかと思案したのだが、東京を朝に出ると、富山を見てまわる時間は実質半日だ。それなら、まずは立山への信仰のあり方を知りたいと思い、富山県[立山博物館]を訪れることにした。

魚津でJRを下車し富山地方鉄道に乗り換える。かつて西武池袋線で走っていたレッドアロー号が車体だけ払い下げられ、第二の人生を歩んでいる。しかしいちおうは特急だ。特急券百円也をあわせ購入し、乗車する。車中で昼食の鯖寿司を食しつつ、JRと平行に進む景色を楽しむ。


こちらはその車内。

寺田という駅で立山行きに乗り換える。この駅は分岐点になっていて、そのためホームが広い。でもほとんどの人はその広さを活用することもなく、向かいに止まっている普通列車に乗り込んだ。

乗車している高校生の男の子、女の子は今風なのだが、その彼ら、彼女らが、まるで昭和三、四十年代にタイムスリップしたかのような駅で降り、日本の田園風景ここにあり、とでも言うかのような風景のなかに消えていく。何とも不思議な感じだった。

田園となっている扇状地をずっと上っていくと、線路はやがて渓谷にさしかかる。景色も一気に山の景色となる。降りるべき千垣の駅に着いた。駅舎はあるが無人駅だ。



この駅には博物館まで2kmという標識が立っていた。僕はその標識を信じて、荷物のカートを引きながらえっちらおっちらと国道を登り始めた。こんな無茶な行軍、一人だから何とかなるんだろう。しばらくは案外急な坂道を、荷物をごろごろと引きながら登っていった。そのうち、何か所かの路傍に石造物を見つけた。

ちょこちょこと道草を食いながら登っていくと、少し開けたところに出た。かつて芦峅寺、さらに中世にさかのぼると中宮寺といわれた寺坊群のあった集落だ。現在では、その中心であった一帯は明治の神仏分離以降雄山神社となり、その脇には富山県[立山博物館]が建てられている。

まずはこの博物館で立山の基本的な知識を得る。ご厚意で荷物を預かってもらい、その後付近の見学に出かける。

この芦峅寺は、女人禁制であった立山における、女性の信仰の拠点であった。布橋灌頂会という祭礼では、極楽往生を求める女性が、まずこの地の閻魔堂で審判を受け、その後目隠しをされて白い布の敷かれた布橋を渡る。邪心あるものはこの橋から落ち地獄に行くという。布橋を渡った先には姥堂があり、その先には雄山が見え、極楽浄土への往生を約束される、こういう行事だ。

閻魔堂の入口


現在の閻魔堂。昭和になってから再建されたようだ。


閻魔堂から階段を下りていくと、布橋が見える。


布橋。布橋灌頂会の際にはここに白い布が敷かれたそうだ。なおこの橋も戦後の1970年の再建。この向こうには雄山が見えるはずだが、この日はちょっと雲がかかっていて見えない。


姥堂をイメージした映像施設には時間の関係で行くことができなかったが、「まんだら遊苑」というところに行ってみた。僕はてっきり博物館の一つだと思っていたのだが、どうやらここは仏教的世界観をモチーフにした一種の遊園地のようだ。この施設の一つとして、常願寺川を見渡せるような橋が掛かっていた。




さらに地獄や極楽をイメージさせるような施設が、現代芸術の衣装を纏って配置されている。中の係員の人は親切にいろいろと説明してくれて好感は持ったが、正直言ってバブルの香りが濃厚に漂っている施設。やっぱり歴史的な宗教性を帯びていない以上、なんとなく薄っぺらいんだよなあ。まあ安いので、時間があれば一度は行ってみるとおもしろいかもしれない。ただこの施設が、けっこう多くの人員を維持したまま、この先10年もつのかなと思わずにはいられなかった。

まんだら遊苑の外には、この地域の民家などの古建築が保存されている。

これは豪農の有村家住宅。


休憩所として用いられているため自販機が設置されているのだが、もう少し何とかならないのだろうか。


合掌造の民家で、現在は同じく休憩所として使われている。


こちらは国指定重文の旧嶋家住宅。もとは飛騨街道沿いにあった民家であるようだ。



さらにこちらは旧寺坊(宿坊)だった旧善道坊住宅。坊造りという建築で、芦峅寺に残る唯一の宿坊建築だそうだ。



その後博物館のところに戻り、雄山神社を見学。開山堂、旧大講堂である祈願殿、大宮神社などがある空間だ。

祈願殿

大宮神社


帰りは、親切にも博物館の方が駅まで送ってくださった。さっきのまんだら遊苑の人もそうだけれど、富山の人は親切だなあ。さらに帰りには、常願寺川に架かる橋に立ち寄ってくださった。あとで調べたらこの橋は芳見橋というそうだが、ここからは晴れると川の向こうに立山連峰が望めるという。下流側には富山地鉄の千垣鉄橋が見える。

上流の立山

下流側

列車が通りかかるとこんな感じ。


千垣駅で降ろしてもらい、しばし駅でたたずむ。


富山地鉄富山市街に向かう。富山平野に沈む夕日が赤い。純日本的風景だと思っていた常願寺川沿いの田園風景が、実は幾度もの洪水の被害を受けつつも江戸時代に開発されたものであることを、博物館の展示で初めて知った。


富山では寿司屋に行く。禁煙のみならずお酒も出していないという珍しい寿司屋。寿司栄というお店。まあまあ美味しかったのだが、なんとなく決め手に欠けるような感じもする。お値段はずいぶんリーズナブル。やっぱりこの辺はブリの獲れる冬が本番だから、夏のこの時期に魚や魚を出すお店の評価をするのは難しいな。

続く