鼓の胴の松飾り。

佐賀城本丸御殿に飾られた正月飾り。佐賀藩の嘉例だそうだ。以下は佐賀県庁のサイトからの引用。

 1638(寛永15)年、江戸幕府は西日本の諸大名を総動員し、一気に原城を攻撃し島原の乱を鎮圧した。その勝利のきっかけをつくったのが佐賀藩の一番乗りの武功であった。しかしそのことが逆に軍法違反とされ、佐賀藩は、同年6月29日鍋島勝茂は幕府への出仕を止められ、謹慎処分を受けることになった。
 年末を迎えた江戸佐賀藩邸では、正月の松飾りなどをせず、ひっそりと正月の準備をしていた。この謹慎処分が解けたのは年も押し迫った12月29日。
鍋島家では突然の開門ということで正月の準備をしておらず、門松などもなく困っていたが、かねて出入りの荒物屋彦惣に、松などを集めさせ、納屋にあった米俵などの藁を用いて、にわかに松飾りを作らせた。その松飾りの形が鼓の胴部に似ていたことから「鼓の胴の松飾り」といい、これを吉例としてその後この形を踏襲することとなった。

実際の解説ではもう少し詳しいことが書いてあって、明治になってからも県庁や市役所などでは飾られていたらしい。こういうものを復元するというのは、単なるハコモノの復元にとどまらない、使われていた有様そのものを復元し見てもらおうとする試みであり、復元建築の使い方としては高く評価したい。