学園都市と田園都市。

昨日は相方さんとともに“小さな旅”。もう一つの目的は、お仕事のための調べ物なんだけど…

まずは中央線に出て、国立へ。堤康次郎の「箱根土地株式会社」の軌跡を、国立駅からたどる。三角屋根の駅舎は国立の象徴なのだけれど、JRの高架化に伴い、存立の危機に瀕しているとのこと。ぜひ、駅舎は保存してってもらいたい。

大学通りを南下。一橋大学の前で大学通りの写真を、大学構内で兼松講堂、中央図書館を撮影。いっつも夕方の風景ばかり見ていたけれど、昼間はずいぶん小綺麗なところなんだなあ。

さらに大学通りを南下。途中のスカイラーク系のイタリアンでお昼を食べ、谷保天満宮に行ってみる。下に降りてく参道ってすごく珍しいけど、もしかして後で付けられた参道で、もともとは多摩川に向かっていたのかなあ?たまたま宝物館が開いていたので、世尊寺経朝筆という「天満宮」の額を拝観。

そこから多摩川の河岸段丘になる谷保の崖線を散歩し、城山という中世城館跡を通り、くにたち郷土資料館へ。こういう段丘の崖線は「ハケ」と呼ばれ、水が豊富に湧き出る地で、縄文以来の遺跡が集まる地のようだ。そういえば、天満宮裏手の、たくさん鯉が泳いでいた池もずいぶん綺麗な水だったな。

ところでここに来た目的は、堤康次郎による学園都市建設の経緯などを調べること。建設当初のパンフレットなどは興味深かった。図録を購入するが、カラーでないのが残念。せっかっくだから、ぜひカラーで掲載してほしかったな。

矢川の駅から南武線に乗り、武蔵溝ノ口、そこから東急田園都市線に乗り換える。田奈という駅で降りる。次の目的地は、この駅前にある東急まちづくり館。東急による田園都市建設に関する資料館ということだったのだけれど、都市建設の資料館の展示としては今ひとつ。目玉は、開発前と開発後の駅周辺の変貌を示した模型だろう。どういう風に丘陵地帯が切り開かれ、開発されたのかがよくわかる。

しかし、凄まじい開発だ。山の稜線が全く消滅してしまうほど平坦にされた区画に展開する宅地。その土地をはぐくんできた自然や歩んできた歴史をまったく消去し、新たに造成された「田園都市」。自然と歴史を消し去ったその土地に、人々のさまざまな欲望が、快適な生活の名の下に広がる。そして人々は朝になると皆、都心へと向かう電車に乗る。こんな「田園都市」を、渋沢栄一は望んでいたのだろうか?

ふと思ったんだけれど、生まれた時からこういうところに育った人にとっての「歴史」って、いったい何なんだろ?土地や人々の生活に歴史があるってことを、こういう人たちは実感として理解できるのかなあ。道ばたの小さなお地蔵様とか、古い神社とか、あるいは嫌々習わされる郷土芸能とか、そういう経験を、こういう街に住んでいる人々は、いっさい経ないまま大人になるってことだ。それがいいことなのか悪いことなのか、それは僕にはわからないし、それは個人的な問題だと思う。けれども、まるで個人の経験に根ざさない「歴史」は、危うい存在であると思うし、そして、脆い存在でもある。最近囂しい「歴史」や「伝統」といった話は、ほんとうにそれぞれの人に根ざしたものなのだろうか。そういうことを、帰りの田園都市線の電車に乗りながら考えていたら、いつの間にか眠りに就いていた。