お仕事に邁進。

木曜は横浜でお仕事、金曜は締切仕事の提出、今日は朝から千駄ヶ谷。今日のお仕事、量的にたくさんあった割には案外早く終了。3時ごろには終わっちゃったもんな。ただ、その分収入が減るのは、この財政難の折、けっこう痛いが。まあおかげで明日一日、自由に使えるようになった。

帰路、中央線各停に乗ったら、落雷で山手線抑止とのこと。その情報により、予定を変更して新宿の本屋さんに行くことに。とりあえず日本史コーナー、それから社会学とか思想系のコーナー、それから建築のコーナーをぷらぷら。ただ、今ひとつアンテナに引っ掛からない。どうも、僕自身が、自分の専門のところで原稿を書くモードになってきてるのかもしれない。こういう時には、本屋よりも図書館なんだろうな。一冊だけ、雑誌を買って帰宅。

今日は相方さんのお母さんたちが家に来ていた。夕食を外で一緒に食べる。ああ、お腹一杯。

靖国問題と平泉澄氏。

今月号の文藝春秋に富田氏メモをめぐる対談が掲載されていた。そこで僕が気になったのは、靖国A級戦犯を合祀した松平宮司が、平泉澄氏の強い影響を受けているという指摘だった。

今僕にそれを確認する術は持っていないが、もしそうだとするならば、近代史だけでなく中世史をはじめとする前近代史にとっても、学問的問題としてこの問題を考えていく必要が出てきたように思う。

大雑把な話としては、歴史学、特に中世史学の戦争責任問題は、平泉をはじめとする皇国史観派の責任が大きく取り上げられていた。たとえて言うなら、ドイツにおけるナチのような位置づけとして皇国史観派が位置づけられていた。この辺は史学史的には常識的な理解なのだが、しかし、中世史学の側から一般社会における平泉の位置づけをどう考えるのかということについては、これまでそんなに議論がなかったように思う。そして平泉の位置づけを考える役割は、もっぱら近現代史や近世・近代思想史の研究に委ねられてきた。

けれども、戦後の偏狭な思想性を特徴とする「靖国」の直接的な思想の系譜関係に平泉が大きな位置を占めるとなると、やはり中世史学として正面から戦後の「靖国」や平泉史学に向き合う必要があるのではないか。

もちろん、そういったことだけが「研究」だというわけではないけれど、少なくとも僕は、歴史学・中世史学に携わる者として、考えなくてはならない問題だと感じた。