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コメント。

仕事が本格的に始動し始めて忙しくなったのと、最近論文書きのための作業をやっているのとで、あんまり記事を書いてないんだけれど、はてブのコメントに反応があったので少しここで触れておく。

id:mujige さんの記事

「核実験の日、ピョンヤンにて」―朝鮮はなぜ核実験をしたのか - 訳者あとがきβ版(やくしゃ あとがき べーたばん)

に対して、僕はこういうコメントをつけた。

北朝鮮にとって日本こそが脅威だという構造的問題はわかるし国内でも脅威を煽りすぎだとは思うけど、オバマの核についてのスピーチの直後に核実験をしたという北朝鮮の政治的判断はさすがに肯定できないでしょ。

それに対してid:islecapeさんが、どうもあんまりきちんとコメントを読んでいないのではないかとおぼしきまとめ方をされていた。
どこから応答すりゃいいのやら(一部修正・補筆済) - The cape of an island
そこで、もう少し僕の立場を説明しておきたい。

基本的な僕の評価として、1990年代末から以降の、日本の北朝鮮に対する極端な敵視政策は相当問題だと思っている。特に、日本人拉致問題での経済封鎖などをはじめとする強硬姿勢なんて、何の解決にもつながらないと感じている。その意味で、まるで強硬姿勢を取りたいだけであるかのような、北朝鮮をむやみに追いつめている日本の外交姿勢を批判的に見る見方はほぼ同じなんだろうと考えている。

また、そのあたりの問題の構造的な原因に、日本による植民地支配の国家的な責任を日本がまるで取っていないことがあるという点も同意だ。日本は敗戦したからと言って植民地支配への責任がチャラになるわけでは決してなく、むしろ敗戦したからこそ、その後始末をきちんと行っていくべきだと考える。そこら辺を薄っぺらく誤魔化して日本の責任を認めようとしない姿勢こそが、東アジアで日本が信頼を勝ち取れない大きな理由だと考える。

ただ僕は、この記事にどうしても拭えない違和感を感じた。

一つは、「核実験を行う」という予告そのものを政治的カードとして使うような段階をすっ飛ばして核実験を現実に行ってしまった北朝鮮の行動は、やはり「合理的」だとは言いがたいということ。核は現実に使ってしまったら終わりなのだし、現実問題としてアメリカと張り合えるような量の核兵器を持つなんてことはそもそも不可能なのだから、北朝鮮にとっては核兵器開発プロセスそのものが高度な政治的・外交的意味を持つはずだ。

ところが北朝鮮は、いきなり核実験を行ってしまった。核実験予告という外交カードをなぜ放棄してしまったのか。少なくとも僕から見て、いきなりの核実験は相当に疑問の残る政治的判断だったにもかかわらず、「あまりにもわかりやすい合理的な行動」と述べるmujigeさんの評価は「合理的」であるようには思えない。

また、オバマ米大統領による核問題のスピーチは、アメリカの核に対する姿勢を大きく転換しようとしたという意義が明らかであるにもかかわらず、なんでその直後に核実験をいきなり行わなくてはならないのか。アメリカの姿勢転換を政治的に利用する方策など素人の僕でも考えうるにもかかわらず、オバマを強硬姿勢へと転換させかねない北朝鮮の核実験が「あまりにもわかりやすい合理的な行動」だとは僕にはとうてい思えない。

だから僕はコメントには、「構造的問題」への理解に対して「政治的判断」に対しては批判をするという文章を書いた。

もう一つ、拭いきれない違和感を抱いたのはこのくだりだった。

これがわからないとすれば、日本人が「アメリカの核に守られた平和憲法体制」という矛盾した状況に長く浸り、国際政治を見る現実的な目を曇らせ、合理的な思考を腐らせてしまったことと、いまだに朝鮮を対等な国家として認められず、「朝鮮のやることはすべて理解できず、許せない」という差別的・植民地主義的思考から抜け出せないせいだと思われる。

北朝鮮バッシングに晒されているであろうmujigeさんの文章が誰に向けて書かれているのかを考えるならば、こうした表現になってしまうのはわからないではない。実際、はてブのコメント欄はそんな感じになってしまっているし。また、他のコメントで言われていたように、mujigeさんのような立場からの意見が読めることは重要で大切なことだと僕も思っている。けれども、少なくともこの表現だけで考えるならば、これはmujigeさんの解釈以外の解釈の可能性に対するレッテル貼りであると言わざるをえない。

僕は一応被爆地長崎の出身者だということもあり、核実験や核保有に対して全面的に反対である。北朝鮮の置かれた国際的な状況をまず重視すべきか、あるいは核の問題の方をまず重視すべきかという点は、論者それぞれの思想や価値判断に属する問題でもあり、優先的にどれを重視すべきだということは言えない。だからこそそこにさまざまな議論の余地が生まれるわけなのだが、mujigeさんの文章には、北朝鮮の核実験に対して批判した部分はない上に、mujigeさん以外の解釈がすべて「差別的・植民地主義的思考」だということになってしまっている。こうしたレッテル貼り的な表現こそが、まるでmujigeさんが北朝鮮の核実験を肯定しているかのような印象を与えてしまっていると僕は感じた。

以上のように、僕は、北朝鮮の核実験という政治的判断を北朝鮮の立場に即して「合理的」だと肯定することはできないし、またまずもって核実験は批判されるべきだと考える僕の立場を「差別的・植民地主義的思考」だと評価されることに対しても肯定できない。だから、僕は「肯定できないでしょ。」というコメントをした。だから、僕のコメントについて訂正を加える必要は今のところ感じていない。

  • 文章の「政治性」

もう少しぶっちゃけた話をすると、mijigeさんのこの文章はかなり「政治的」だと思った。それは日本の立場、北朝鮮の立場とかいった意味での政治性ではなくて、自分の解釈以外を認めない文章だという意味での「政治性」だ。islecapeさんは、その「政治性」にあまり気づかないまま大雑把に批判を試みているような気がする。

こういうことを言うのもなんだが、この「政治性」がなければ、mujigeさんの記事はもっと広く理解してもらえるんじゃないか。それはそれで文章の個性なのかもしれないし、そういう「政治性」が重要な時もあるかもしれない。だが、きわめて安易な北朝鮮バッシングに流れがちな日本にあって、こういう視点からの記事が、文章に内在する「政治性」によって読者を狭くしてしまっているのはもったいないように思う。