大規模SC。

その後、武蔵村山の日産工場跡地に作られた大規模なショッピングセンターである「ダイヤモンドシティ・ミュー」に行く。とりあえず甘い物を食べ、それからいくつかテナントを見て回る。なかなかでっかい。で、随所にバリアフリー思想が徹底した作りとなっている。そこら辺は評価できるな。

ただ、個々の店舗の品揃えとなると、どうもやや中途半端な気がしてならない。本屋は、立川でがんばってるオリオン書房が入っているのだが、ここの専門書(と言っても日本史だけだが)は立川に比べるとだいぶ貧弱だった。GAPや無印にも入ってみたんだけれど……いや、もちろん「武蔵村山にしては」*1ずいぶんいろんなお店があって、いろんな物が置いてあるとは思う。思うんだけれど、うーん、なんかもう一つ、グッと来るものが置いてない。つまり、ある程度の品揃えにとどめているんだろうな。

これでいいやと思える、というか妥協するのであれば、ほぼなんでも揃う。荒川良々扮する八百屋が「下妻物語」で「ジャスコには何でもあっペ」と言ったように。ちなみにここにもイオンが附設されている。でも、なんか物足りないというか。とても全部を見ては回れないくらいの商品が置いてありながら、そしてそのほとんどが実際には僕が手に取ったことも目にしたこともない商品でありながら、でも明らかに既視感があって、全部を見て回らずともなんとなくどんな商品があるのか、だいたいわかってしまう、そんな感覚。

これじゃ満足できないという方向に振れるのか、それとも、此処にあるモノですませようという方向になびくのか。地方の大規模SCがもたらす「ファスト風土化」状況に、今まではほとんど活字の上でしか触れてこなかったけれど、改めて客として店の中に入り商品を探し求める段になって気づいたのは、思ったほどには商品がないもんだな、という意外な感想だった。

あと思ったのは、こういう大規模SCにあっても、テナントにどれだけブランドが入っているかというのが結構重要なんだなということ。でかいだけなら、単に何でも置いてるホームセンターに過ぎない。で、そういうSCに入ってるブランドのイメージってのは、大規模SCがその土地に展開することによって独自に生み出している価値ではなく、あくまで流通しているイメージを借りてきてその地で消費しているだけのものなんだなってこと。

銀座とか代官山とか、あるいは吉祥寺とかといった土地であれば、その地にそのブランドのショップがあることの象徴的な重要性っていうものを感じることができると思う。「銀座なんだからそういう店もあるよね」みたいな。けれども大規模SCだと、「武蔵村山に」××というブランドのお店がある、という風にしか認識されない。そういう意味では、いくら大規模SCが全国の「郊外」に展開しようと、そのSCを構成するコンテンツはSCがその地で独自に生み出すことはできない、ということになる。

となると、都市部をも含めて日本全域の「ファスト風土化」が進行するとしても、コンテンツそのものは「ファスト風土」ではなく、いわゆる旧来的な「都市」のイメージに依存している、ということにはならないだろうか。

なんかここら辺、もう少し整理して考えれば、地方の旧市街地を再評価する足がかりをつかめそうな気がするな。まあ、コンテンツが依存している「都市」と言ってもあくまで東京でしかないところは、大きな限界なんだけどな。

*1:今回行ったのが「武蔵村山」だったから固有地名を出しているけれど、別に武蔵村山を貶めるつもりではない。むしろ全国に展開する大規模SCの一つの典型を記号的に示すために、「武蔵村山」という地名をもってきたと読んでもらいたい。