企画展「武蔵武士と寺院」と菅谷館。

埼玉県立嵐山史跡の博物館で開催中(3/4まで)。比企郡地域に拠点を持っていた武士は、一族の菩提を弔い繁栄を祈願するため、みずからの拠点に寺院を建立した。それらの寺院のなかには、在りし日の武士の姿を現在に伝えるものも多い。そうした武士の氏寺的な寺院の諸様相を、発掘調査の出土遺物をもとに展示しようとする試み。

武士団の拠点が多いというこの地域の特色を生かした展示で、企画はけっこうよかったと思う。また、経筒や陶磁器、石造物など、考古学的知見に基づいた実証的に誠実な展示であった点も好感が持てた。

ただなんせ地味な展示なので、一般の人はどこまでこうした寺院の重要性が認識できるのか、ちょっと疑問だった。変な推測を加える必要はないけれど、もう少し武士とこのような寺院との関係性が明示できているとよかったのかもしれない。また、現在その寺院はどうなっているのか、展示を見てから寺院を見学できるような工夫もあると、さらによかったんじゃないかなあ。

博物館自体は菅谷館跡という城跡に位置しているので、そちらの方も見学する。当日の11時ごろに博物館行きを決定したので、現地に着いた時には日がだいぶ傾いていたが、城跡を見学するのには十分だった。というわけで、まず日が沈まないうちに館跡を見学しちゃおうということにして、実際には城跡の方を先に見学した。

いちおう、鎌倉初期に活躍した畠山重忠の拠点とされてきたが、現に残っている空堀や土塁の規模・設計思想などをみるに、こりゃ立派な戦国期ごろの後北条系の城郭だった。とても鎌倉時代初期の城郭遺構じゃない。予想よりもはるかに見応えのある中世城郭だった。

結構な高さをもつ土塁や横矢掛りの感じ、またタマネギの皮のように曲輪を重ねていくような縄張りのあり方などは、いかにも後北条氏の城郭っぽい雰囲気。本丸や二の丸も結構な広さを持っていて、それなりに軍事的拠点だったのだろう。

城跡とバイパスを隔てた集落には菅谷神社が鎮座している。この神社はもともと山王社だったらしい。脇には寺院らしき建物と墓地が見えたが、あれが別当寺だったのだろうか。