飲酒運転と郊外化・モータリゼーション。

最近、とみに飲酒運転での死亡事故が取り上げられるようになり、その厳罰化が叫ばれている。確かに飲酒運転はよくないし、事故で人命が失われることなどあってはならない。ただ、こちらで指摘されているように、これまで飲酒運転が少なかったのか、それともここにきて飲酒運転が問題とされるようになったのか。戦後、というかある程度自家用車が普及したあと、飲酒運転での検挙者数がどのように変化したのかを明らかにするためには、きちんとしたデータとその分析が必要だろうな。

ただ構造的な問題として、飲んだあとに車を運転しなくてはならないという、そもそもの問題がある。バイパス沿いに駐車場つきの飲み屋があるなんてちょっとびっくり。たぶんそれは、僕自身が東京に来てからしか飲み屋を知らないからなのだろう。でも、それがいいことだとは思わない。

短期的には、そういった郊外型の飲食店での酒類の提供をどうするのかってことになるんだろうけれど、もっと根本的な問題として、都市構造が郊外化して、飲み屋の立地も郊外化してきたという問題が一つあるのではないか。飲み屋も、中心市街地ではもうそろそろやっていけなくなってきたのだろう。都市では飲んでるのに地方で飲んでないなんて、やっぱり考えにくく、飲み屋自体も郊外化したと考えた方が納得がいく。

現状では、ある程度の都市機能の集積や公共交通機関がないのに、夜まで街で飲むという選択は、地方ではあまり現実的ではなくなってきているのかもしれない。その辺、地方での生活者ではないのであまり実感がないんだけれど、どうなんだろう。

データがはっきりしてないし、僕自身の生活実感もないのでなんとも言えないけれど、ここまで郊外化・自動車社会化が進んでしまった地方で、夜に外で飲んで家に帰るっていう「娯楽」のあり方は、成立しにくくなっているのではないかという気がする。飲むという娯楽は、ある程度の都市的集積を前提として初めて成り立つ。東京や大阪、あるいは県庁所在地などの都市ではなくても、本来、中心市街地と公共交通がきちんと機能していて、商売として成り立つだけの顧客がいれば、飲酒運転など気にしないで飲むという行動が普通にできるようになると思う。

それが現実にはなかなか難しいというところに、本当の問題があるような気がしてならない。