軽井沢と横川。

25日の金曜、自由が丘での最後のお仕事を務め、東京駅から長野新幹線に乗車、軽井沢へ。出身の院のゼミ合宿に参加する。もう今さらゼミ合宿に参加する歳でもないんだけれど、ちょいと後輩の報告を聞く必要があって、まあこれで最後だろうなと思いながら、参加することに。

実質のところ、報告は二日目までで終了。初日夜、二日目夜ともに飲み会があったんだけれど、なんか、酒が残るようになったな。つまみのスナック菓子も、最近は油がちょっときついなと思うようになってきたし。ただ、普通に東京で飲み会に参加してる分には、そこまで酒が残ることもないんだけれど、やっぱり寝不足とかそういうことなんだろうなあ。しかしとにかく、みんな若いわ。

帰り、僕は最初から碓氷峠をバスで下り、横川から在来線で帰ることにしていた。本か史料を読みながら帰ろうかと思っていたが、同じルートで帰る人がいることがわかり、せっかくなので一緒に帰ることにする。

信濃追分駅からしなの鉄道に乗車、軽井沢に行く。バスの時間までずいぶん間があったので、軽井沢のアウトレットに行ってみる。軽井沢には何度も来ているのに、アウトレットに行ったのは、実はこれが初めてだった。まったく買い物をするつもりではなかったんだけれど、ちょっと見ているうちに、吊してあったカラージーンズが欲しくなって、購入することに。うーむ、おそるべしアウトレット。

けれども、買い物しといてシニカルに言うのもなんだけれど、別に軽井沢じゃなくったっていいじゃんって感じにさせられるのは僕だけ?人出も、東京に負けず劣らず大変なもんだった。

その後、JRバスに乗り横川へ。この区間の運転手さん、非常にていねいな接客の人で、大変好感が持てた。濃霧で徐行していたために、定刻よりもやや遅れて横川到着。駅前に出ていた釜めし売りのおじさんから釜めしを買い、食べる。やっぱりここで食べると美味しいな。

その後、駅の軽井沢方に横川‐軽井沢間廃止後に設けられた、碓氷峠鉄道文化むらに行ってみる。一人だったら、時間が余ったら行こうかなってくらいに思っていたんだけれど、同行の後輩は行ったことがなかったようなので、それならってことで行くことに。あんまり調べなくて行ったんだけれど、案外いろんな車両を展示してるんだな。けっこうおもしろかった。

ただ、車両の保存状態がやや気になった。屋根が付いてるよりも外に展示してあった方が見る側としては好ましいけれど、そうするとどうしても錆が出ちゃったりすることは仕方ない。この辺は悩ましいところだな。

その後、横川から高崎、そして籠原湘南新宿ラインに乗り換え、帰京。

     *

横川と軽井沢間、どうやら再び鉄路を復活させる計画があるようだ。新聞記事なんで消える可能性が高いので、引用しておきたい。

碓氷峠に汽笛、再び 長野新幹線の開業で廃線「横軽」

 急勾配(こうばい)の難所として知られ、長野新幹線の開業に伴い平成9年に廃線となったJR信越線の横川(群馬県)−軽井沢(長野県)間11.2キロに、再び鉄道が走ることになりそうだ。群馬県安中市の「碓氷(うすい)峠交流記念財団」が、平成12年3月施行の改正鉄道事業法で新設された観光用の「特定目的鉄道」として来年10月の復活を検討。自動車のエンジンブレーキに当たる装備の導入など安全面に配慮した計画を9月上旬にもまとめる。許可申請が認められれば全国初。峠に鳴り響く汽笛を心待ちにしている人は多い。(大竹直樹)
 両県境の碓氷峠を越える路線は「横軽」と呼ばれ、明治26(1893)年に官営鉄道中山道線として開通。約550メートルの標高差で、1キロ進んで66.7メートル登る急勾配のため、歯型のついたレールと機関車台車部分の歯車をかみ合わせた「アプト式」技術を採用した。その後、レールとの摩擦力を高めたEF63形電気機関車2両の連結運行で、列車を押し上げながら20〜30分かけて峠を越える光景は鉄道ファンらに親しまれてきた。

 廃線後も線路は残り、横川駅前のテーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」を運営する財団が整備を続けている。昨年3月からは、廃線を利用した2.6キロの観光トロッコ列車も園内遊具として走っている。

 財団は今年6月、構造改革特区としての復活を政府に提案したところ、国土交通省は許可基準が緩い「特定目的鉄道」の検討を指示。財団は9月上旬にも運行計画案をまとめて、「安全性が課題だが初の適用路線となる可能性も十分ある」とする国交省関東運輸局との詰めの協議を急ぐ。

 計画には、信越線特急「あさま」(189系)の保存車両の活用や中型ディーゼル機関車の新造案が盛り込まれている。安全面では一般の鉄道事業と同じ取り組みが求められるため、自動車のエンジンブレーキに相当する「抑速ブレーキ」の導入をはじめ、「できることはすべてしたい」と財団側は強調する。

 財団の桜井正一理事長は廃線当時のJR東日本長野新幹線開業準備室長。「横軽は私が切ったも同然なので、罪滅ぼしをしたい」と話す。採算面は不透明だが、赤字運行となっても「毎年黒字を計上している財団の収益で補える」という。

 長野県軽井沢町を訪れる年間780万人の観光客の利用も期待できるため、群馬大社会情報学部の小竹裕人助教授(公共政策)は「集客力は十分ある」と指摘する。

 横軽が走っていた当時、横川駅の名物駅弁「峠の釜めし」の売り子だった桐生富作さん(73)は「復活してくれたら、こんなうれしいことはない」と話した。


■特定目的鉄道 平成12年4月施行の改正鉄道事業法で新設され、同法施行規則5条の2で「景観の鑑賞、遊戯施設への移動その他の観光の目的を有する旅客の運送を専ら行う」と規定された鉄道。通勤や生活路線を前提としないため採算面での要件が緩和され、運行本数や運賃を弾力的に設定できる。ただし、通常の鉄道事業者と同水準の安全性が必要となる。

(『産経新聞』2006年8月28日)

碓氷峠廃線の復活は、鉄道好きとしては夢がある事業だ。確かに軽井沢の集客力を背景にできるし、他の廃止路線と異なり知名度も結構ある。それに、今回横川行きのバスに乗って感じたんだけれど、実は単なる移動手段としても、夏季などの観光シーズンなら、それなりの需要がありそうだ。

そもそも軽井沢への車以外の移動手段が新幹線しかないという現状には、やはり問題があると思う。確かに、以前の在来線特急「あさま」のような列車を毎日何本も走らせるのは無理だろうし、現実味がない。在来線「あさま」を利用していた層は、新幹線が担うべきだと思う。

ただ、夏季シーズンには、普通列車には軽井沢に向かう人々がけっこうたくさん乗車していた。もちろんそれは普通列車乗り放題の「18きっぷ」ユーザが大半なので、廃線復活のためには運賃設定を考える必要がある。そういった利用客を考慮し、わざわざ補助機関車を付けなくてもいいような、勾配に強い電車を1〜2両編成で走らせるなどしてコストを削減できれば、事業としてもそれなりにいけるような気がする。

鉄道好きとしては、EF64などの補助機関車と在来線189系などが運転できるような体制で復活できると望ましいし、夏に東京や上野からイベント目的として臨時直通列車を運転できるようであれば、それなりの集客もできると思う。ただそれが無理でも、復活さえしてくれれば、横川の地域興しとしてけっこう有効な政策だろう。