靖国問題と平泉澄氏。

今月号の文藝春秋に富田氏メモをめぐる対談が掲載されていた。そこで僕が気になったのは、靖国A級戦犯を合祀した松平宮司が、平泉澄氏の強い影響を受けているという指摘だった。

今僕にそれを確認する術は持っていないが、もしそうだとするならば、近代史だけでなく中世史をはじめとする前近代史にとっても、学問的問題としてこの問題を考えていく必要が出てきたように思う。

大雑把な話としては、歴史学、特に中世史学の戦争責任問題は、平泉をはじめとする皇国史観派の責任が大きく取り上げられていた。たとえて言うなら、ドイツにおけるナチのような位置づけとして皇国史観派が位置づけられていた。この辺は史学史的には常識的な理解なのだが、しかし、中世史学の側から一般社会における平泉の位置づけをどう考えるのかということについては、これまでそんなに議論がなかったように思う。そして平泉の位置づけを考える役割は、もっぱら近現代史や近世・近代思想史の研究に委ねられてきた。

けれども、戦後の偏狭な思想性を特徴とする「靖国」の直接的な思想の系譜関係に平泉が大きな位置を占めるとなると、やはり中世史学として正面から戦後の「靖国」や平泉史学に向き合う必要があるのではないか。

もちろん、そういったことだけが「研究」だというわけではないけれど、少なくとも僕は、歴史学・中世史学に携わる者として、考えなくてはならない問題だと感じた。